あとで読む・第23回・神田伯山『講談放浪記』(講談社、2023年)

いまから11年ほど前の2012年夏、まだ私が前の職場で大学教員をしていたときのことである。同僚から、
「8月18日、日程を空けておいてくれる?」
と言われた。
「何です?」
「うちの大学の卒業生が、いまプロの講談師をやっていて、市民会館でその公演を開催するので、ぜひに聴きに来てほしいんです」
「どうして私が?」
「だって、講談とかに詳しいでしょう」
いやいやいや、講談には全然詳しくないぞ。今まで聞いた講談は、立川談志の「三方ヶ原軍記」だけである。しかもCD。
「とにかく、来てくださいよ。あなたに来てもらわないと困る。できれば、その後の懇親会も出てください」
「はあ」
というわけで、山形の市民会館で宝井琴柑さん(当時。現在は5代目宝井琴鶴)の講談が、生で聴いた初めての体験だった。
時は流れて2017年。
3月の末頃だったか、夜にたまたまラジオをつけていたら、聞き慣れない男性がフリートークをしていて、そのトークに引き込まれていった。
(これは、久々にキタな…)
これぞ、私が探し求めていたラジオパーソナリティーである。
神田松之丞…。初めて聞く名前である。その名前から、講談師であることはすぐにわかる。どうも新進気鋭の講談師らしい。
だが、そうした伝統芸能的な話題とは裏腹に、徹頭徹尾マイナス思考で、被害妄想の固まりなのである。マイナス思考、被害妄想、愚痴、自虐、嫉み、他人に対するさりげないディスり…。講談師だけに、しっかりした話芸に裏打ちされた「愚痴芸」なので、話芸の完成度が高い。
私はそのとき、車を運転ながら聴いていたのだが、車が家に到着してからも、まだ番組は続いている。私は帰宅早々、家のラジオをつけて、その続きを聴いたほどであった。
あとで調べてみたら、私が聞いていたのがパイロット版で、その後、4月から土曜日の深夜に30分のレギュラー番組を始めたとのことだった。それが「問わず語りの松之丞」である。この番組は時間帯と番組名を変えながら、「問わず語りの神田伯山」として、現在も絶賛放送中である。
夏目漱石の「硝子戸の中」に、「私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町にある伊勢本という寄席へ講釈を聴きに行った」とあり、ひとしきり講釈師のことが書いてある。漱石の頃はそのくらい当たり前の存在だったのだろうが、いまはそれほど馴染みのある存在ではない。そこに風穴を開けたのが神田伯山さんである。講談という演芸のジャンルを広めるためにありとあらゆることをする。YouTubeで公式チャンネルをつくって、そこで講談を披露したり、かつての講釈師についての本(神田山陽(二代目)『桂馬の高跳び』、中公文庫、2020年)や講釈場についての本(石井英子『本牧亭の灯は消えず』中公文庫、2021年)を復刻したり、とにかく講談に対してスケベなほど愛情を注いでいる。この本も、講談の舞台を歩く「聖地巡礼」で、やはり講談に対するスケベな愛情で溢れていそうだ。
もともと『群像』に連載されていて、たまに『群像』を手にするたびに読んでいたが、その連載をもとにまとめたのがこの本である。近所の書店でなぜかサイン本が置いてあったので、反射神経で買ってしまった。やはりサイン本には弱い。

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