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いつか観た映画・『ナイトクローラー』(ダン・ギルロイ監督、2014年、日本公開2015年)

2021年に放映されたNHKの朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」で、オダギリジョーさん演じる大月錠一郎は、若い頃にジャズトランペット奏者として実力を認められ、大阪から上京して東京でメジャーデビューをはかるが、なぜか急にトランペットが吹けなくなってしまう。それからずっと、トランペットの演奏を封印する。
それから何十年かたって、たまたまおもちゃのピアノを演奏したことをきっかけに、再び音楽に目覚め、トランペットは無理だけど、キーボードを熱心に練習すれば、再び音楽の道に戻れるかも知れないと、プロをめざすことになる。
…というドラマを見たというジャズミュージシャン界隈の人たちがSNSで、管楽器ができたからって、鍵盤が弾けると思うなよ、とか、キーボードの奥深さを知らない、とか、その設定のリアリティーのなさに苦言を呈していた。

なるほど、そういうものかねえと思っていたら、このドラマの劇伴を担当している金子隆博さんが、じつは似たような経験をしているということを知って驚いた。もともとアルトサックス奏者だった金子さんは、あるとき急にアルトサックスが吹けなくなり、キーボードに転向したのだという。なんでも「職業性ジストニア」という病気だそうだ。
とすれば、原因不明でトランペットが吹けなくなった大月錠一郎が、キーボードに転向したというのは、ほかのミュージシャンにとってはリアリティーがなくても、金子さんにとってはリアリティーのある話なのである。

以前に『ナイトクローラー』(2014年)というアメリカ映画を観て、これがめちゃくちゃ面白かった。フリーランスの映像カメラマンが、夜通しで町を車で走り回り、特ダネになるニュース映像を撮影して、それをテレビ局に売り込んで生計を立てる、という内容だった。
アメリカには実際にそういう職業があって、ある時、BS朝日の「町山智浩のアメリカの今を知るテレビ」で、町山さんがその映画のモデルとなった人物にインタビューをしていた。その人物は、映画を作るにあたって、監督などからいろいろと取材を受けたらしい。
「映画を見てどう思いましたか?」
という質問に、
「だいぶ誇張されていて、現実とは違うと感じた」
と答えていた。
映画だから、多少の誇張は当然あるだろう。しかしここで僕が問題にしたいのは、監督がその人を取材したときの印象と、取材された当人が映画を見た印象とは、まるで異なっていたのではないだろうか、という疑問である。
当人があたりまえだと思ってふだん行動していることが、第三者にとってはとんでもなくクレージーな行動に映る可能性はないだろうか。
当事者が「誇張しすぎだよ」という一方で、「いやいやいや、実際あなた、これくらいクレージーな行動をとっているんですよ」と第三者の目には映っていることだって、十分に考えられるのだ。
当事者がリアリティーがないと思えば、それはリアリティーがないことなのだろうか。
リアリティーって何だろう。

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