あとで読んだ・第33回(後編)・畠山理仁『黙殺 報じられない無頼系独立候補たちの戦い』(集英社文庫、2019年、初出2017年)

10代の頃、東京都知事選挙が好きだった。正確に言うと、東京都知事選挙に立候補した人が好きだった。いまでも強烈に覚えている名前は、「赤尾敏」「東郷健」「深作清次郎」。この3人の名前は、40年ほど経ったいまも忘れることはない。いずれも、畠山さんが言うところの「無頼系独立候補」だ。当時「泡沫候補」という言い方があったかどうかは定かではない。
なぜ、10代の頃の私がその3人の名前を覚えているかというと、当時、彼らの主張をテレビで放送していたからである。いまでも覚えているが、どこかのチャンネルで、都知事選立候補者の立会演説会を放送していたのだ。しかも主要候補だけではなく、すべての立候補者の演説が放送の電波に乗っていた。そこで私は、赤尾敏や東郷健や深作清次郎やの演説に圧倒されてしまったのだ。
(何なんだこの人たちは)
調べてみると、私が10代のときにあった東京都知事選挙で、しかもその3人が同時に立候補しているのは、1979年(小5)、1983年(中3)、1987年(浪人)の3回で、その次の1991年の選挙では赤尾敏、深作清次郎が姿を消している。この2人が立候補者から姿を消してから、私は都知事選挙に対する興味を急速に失っていった。この2人の思想信条に共鳴していたからではない。演説の迫力に圧倒されたからである。その真剣さは筋金入りだった。
むかしから都知事選には「無頼系独立候補」が多い。それはなぜなのか?畠山さんの本を読んでその答えがわかった。東京の人口や予算規模はギリシャ、スウェーデンなどの一国にも匹敵する。しかも都知事の椅子は一つしかない。一方、同じ供託金が必要となる衆議院議員の場合、マスコミの注目度が分散されてしまう。だが都知事選は日本中の注目が集まり、政見放送もある。「社会に何かを訴えたいと考えた時、最もコストパフォーマンスが高いのが都知事選なのだ」(156頁)と。なるほどそれで納得がいった。私が圧倒された3人は、都知事になるか否かは二の次で、自分の主張を社会に本気で訴えたかったのだ。供託金が没収されるのもおかまいなしに。ほかの無頼系独立候補も多かれ少なかれ同様だったのだろう。
いまの選挙では、無頼系独立候補は「黙殺」されている。その候補者の声はかき消されてしまう。しかしかつてはどうだったのだろう。彼らの声も伝えようとする余裕がマスコミにもあったのではないだろうか。だから10代の頃の私も無頼系独立候補へのまなざしを獲得できた。だんだんそこに意識が向かなくなったのは、私自身の問題なのか?それとも社会全体が不寛容になったことを示しているのか?いずれにしても畠山さんの仕事は、無頼系独立候補たちへの解像度を上げることで、不寛容な社会に警鐘を鳴らしているように思える。周りを見わたしてみよう。排除アートが幅をきかせ、身体が弱い人や困窮している人を生きづらくしている。この不寛容さと、根底のところで通じているとは言えまいか。

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