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雑感・加東大介『南の島に雪が降る』(ちくま文庫、2015年、初出1961年)(前編)

黒澤明監督の映画「七人の侍」に登場する七人の中で、最も地味な存在が、加東大介演じる七郎次である。志村喬演じるリーダー・勘兵衛の「女房役」として、勘兵衛を下支えする。
その加東大介が、自らの軍隊経験を回想録という形で書いた『南の島に雪が降る』(ちくま文庫、2015年、初出は1961年)を、復刊された際に読んでみたら、これが実に素晴らしかった。

昭和18年10月、俳優をしていた加東大介は、大阪中座の楽屋で召集を受け、そのままニューギニア戦線へ向かった。
そこは、兵士たちが飢えに苦しむ絶望的な場所だったが、そこで彼は、死の淵にある兵士たちを鼓舞するために、劇団を作ることを命ぜられる。マノクワリ支隊演芸分隊、通称「マノクワリ歌舞伎座」である。
ウソのような本当の話である。軍隊といえば、上官の理不尽な命令に下の者が絶対服従しなければならない。もしそうしなければ、制裁が待っている。軍隊のほとんどは、そういうものだった。軍隊文学も、もっぱらそのことを描いていた。
だがマノクワリの演芸部隊は違っていた。芸達者な者たちを集め、舞台を作り、脚本を練り、協力し合いながら多くの兵隊の前で芝居をするのである。
やがてそれは、死の淵にあった兵士たちに生きる希望を与えていく。
可笑しくも哀しいエピソードが、加東大介の軽妙な筆致で描かれる。そして登場人物のすべてに、愛情を注いでいる。
本書のタイトルにもなった「南の島に雪が降る」のエピソードは、とくに胸を打つ。

あるとき、上官の提案で、芝居で雪を降らせることになった。といっても、紙を細かく三角に切ったのを、舞台の上に釣ったスノコに入れておいて、紐で引っ張ってこぼすという簡単な仕掛けである。
舞台を見ていた兵隊たちは、驚いた。
この南の島で、雪が降っているのである!雪が降るたびに、客席はどよめいた。
ある回のときのことである。
いつものように雪を降らせていたが、いつもだとそこで歓声が上がるはずなのに、今回はいつものどよめきがさっぱりわきおこらない。
客席のほうを見ると、三百人近い兵隊が、一人の例外もなく、両手で顔をおおって泣いていた。
この日の観客は、東北の兵隊だったのだ。
「生きているうちに、もう一度雪が見られるなんて…」
彼らは紙の雪に、感謝したのである。
さて、芝居が終わったあと、東北の部隊の将校が加東にいう。
「お願いがあるんですが」
「はあ」
「うちの部隊に、もう歩けなくなっている病人が何人かおります。その者たちにもこの雪を見せてやってください」
「いつでもどうぞ」
「いや、できれば明日の朝、見せていただきたいのです。芝居が無理なら、せめて雪だけでも見せてやってくれないでしょうか」
「といいますと?」
「今日の舞台を、明日の朝まで、このままにしておいていただけないでしょうか」
「おやすいご用です」
翌朝、重度の栄養失調の患者二人が、担架で運ばれてきた。
二人は担架に寝かされたまま、紙の雪を力の入らない指先で、つまんでは放し、放してはつまむ動作を繰り返していた。
加東は、「いつでもどうぞ」と言ったときにあの将校が「明日の朝」と指定した意味に、そのときはじめて気づいたのである。
紙の雪ですら、人々に生きる希望を与える。
それが舞台の力である。
演芸、演劇、音楽、ミュージカル、ダンス…。なんでもよい。
舞台に立つということは、生きる希望を与えるということだ。
それは、人間がどんな極限状態にいても、希望を与えることができる力を持っている。
コロナウィルスが蔓延していた頃、演者が舞台に立つエンタメはことごとく「不要不急」であるとして中止に追い込まれた。
しかし、どんなときでも「不要不急の舞台」なんて存在しないのだ。

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