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いつか観た映画・『アクト・オブ・キリング』(ジョシュア・オッペンハイマー監督、イギリス・デンマーク・ノルウェー、2012年、日本公開2014年)

2014年の4月というから、私が山形での単身赴任を終えて、いまの職場に移ったばかりのときのことである。
首都圏に戻った私は、まるで何かを取り返すかようにTBSラジオの番組を聴きまくった。とくに町山智浩さんやライムスター宇多丸さんの映画評は、私の心をとらえて放さなかった。
町山さんと宇多丸さんが共通して絶賛したドキュメンタリー映画があった。「アクト・オブ・キリング」である。
私は、いわゆるロードショー公開されるような大資本映画にはあまり興味がなく、もっぱら独立系の映画館で上映されるようなマイナーな映画が好きだった。私にとって、まさにうってつけの映画である。当時私は千葉県内に住んでいたが、都内に出て独立系の映画館まで足を運ぶのが面倒だった。だが千葉市に「千葉劇場」というマイナーな映画を公開する映画館があり、そこで「アクト・オブ・キリング」が上映されていることを知り、観に行ったのである。

1960年代に、インドネシアで起こった100万人規模の大虐殺を取りあげたドキュメンタリー映画なのだが、この映画の説明は、なかなか一筋縄ではいかない。
インドネシア独立の父と呼ばれるスカルノ大統領の治世下、1965年9月30日に、「急進的左派勢力」による国軍の首脳部暗殺事件が起こり、それに対して、スハルトを代表とする右派の軍部が制圧をする。いわゆる9・30事件である。
この事件をきっかけに、右派軍事勢力による、共産党関係者への大量虐殺が始まる。その数は、100万人規模ともいわれている。
これにより共産党勢力は一掃され、スカルノの求心力も失われ、スハルトに大統領の座を奪われることになる。
インドネシアでは、長らくその虐殺をした側の勢力が、英雄として称えられているのである。
そのため、大量虐殺の実態、というのは、これまでほとんど知らされることはなかった。
それを、アメリカの監督がドキュメンタリー映画という形で明らかにしていくのだが、その手法が驚くべきものである。
実際に大量虐殺をした加害者たちに、「映画」の中で、殺人の手法を再演させる、というものである。
どうしてこんなことが可能なのか?
それは、加害者たちが、いまも国の英雄だからである。
彼らは、自分が正しいことをしていると信じているのだ。だから、嬉々として殺人を再演してみせるのである。
だがその様子は、じつに滑稽である。
憎むべき残虐行為であるはずなのに、じつに滑稽に見えるのだ。
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉を思い出した。これって、マルクスだったっけ?ヘーゲルだったっけ?
映画の終盤になるにつれ、この映画の主人公であるアンワル・コンゴ(実際に1000人を虐殺したという「英雄」)に、ある変化があらわれる。
殺人を再演することにより、彼の心の中が、大きく揺らいでいくのである。
そして、衝撃のラスト。
彼の心の揺らぎこそが、心理学的にも、汲めど尽きぬ興味を私たちに与えてくれる。森達也さんはこの映画について「まるで悪夢だ。でもやがてあなたは気づく。自分はスクリーンではなくて鏡を見ているのだと」と、どこかに書いていた。

その当時、「あとで読む」ために倉沢愛子『9.30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』(岩波現代全書、2014年)を買った。いま急に読みたくなり部屋を探してみたが、見つからない。

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