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いつか観た映画・ピクサー映画『インサイドヘッド』(2015年)

この映画は、11歳の女の子、ライリーの脳の中にある「喜び」「悲しみ」「怒り」「恐れ」の4つの感情が主人公で、擬人化された4人が、ライリーの脳内で活躍したりしなかったりすることで、11歳の少女の感情が揺れ動く、というお話。
脳の中で、「喜び」が活躍すればライリーは微笑むし、「悲しみ」が幅をきかせればライリーは悲しい気分になる。
11歳の時、ライリーは、田舎町のミネソタからサンフランシスコの大都会に引っ越すことになった。
しかし、転校をきっかけに、ライリーは誰ともうちとけられないまま、どんどん落ちこんでゆく。
脳内にいる「喜び」は、何とかしてライリーに元気になってもらおうと頑張るが、なかなかうまくいかない。「悲しみ」とか「恐れ」といった感情が脳内で活躍してしまうのである。
私の心にひっかかったのは、次のような場面である。
ライリーはいつも、ミネソタにいた頃の親友のメグと、スカイプを使ったテレビ電話をする。
ライリーとメグは、アイスホッケーで同じチームになったことをきっかけに知りあい、無二の親友となった。ところがライリーの転校をきっかけに、二人は離ればなれになってしまう。
転校先でなかなか友だちのできないライリーは、メグとスカイプで話すことが、とても楽しみだった。メグも同じである。
しかし、である。
ある時メグは、ライリーにこんな近況を語る。
「最近、アイスホッケーのチームに、すごい上手な友だちが入ってきてくれて、一緒にアイスホッケーをやっていて楽しい」
メグからしたら、何でも話せる親友のライリーに話して当然の近況報告なのだが、ライリーは、この話を聞いてとたんに不機嫌になった。
そして一方的にスカイプの回線を切断してしまったのである。
このとき、脳内で何が起こっていたか?
ライリーの脳内には「喜び」が不在で、ライリーは喜びの感情がわき上がらなかったのである。
むしろ、
(ふーん。もう私って、必要ないんだ…)
というマイナスの感情がオモテにあらわれたのであった。
どうということのないエピソードなのだが、これに近い感情は、誰しも一度は抱いたことがあるのではないだろうか。
私自身は転校をした経験がないのだが、そうでなくとも、これに似たような感情を抱いたことはある。
日本語には「虫の居所が悪い」という言い方があるが、この映画でいうところの「脳内の感情の動き」というのは、つまりは「虫の居所」のことである。虫の居所が悪いと、親友のメグに新しい友だちができた、ということが素直に喜べず、
(もう私は必要ないんだ)
とマイナス思考に陥ることになる。
しかし、考えてみればこれは、ライリーだけの問題ではない。
たとえばもし、ライリーの虫の居所がよくて、メグの虫の居所が悪い、というときに、ライリーがメグに対して同じようなことを言ってしまったとしたら、今度はメグが、
(ふーん)
ということになる。
つまり、相手のちょっとした言動をどう受け取るかは、自分の中にいる「虫の居所」の問題にすぎない、というわけである。
なぜ私は、こんなことについて長々と考えたのか?
以前、TBSラジオ「ジェーン・スー 相談は踊る」という番組の中で、30代のサラリーマンがこんな相談をしていた。
「自分の周りには相談できる同年代の人間がいなくて、合コンに行ってもいつもうまくいかず、『行かなきゃよかった』と後悔するし、話をするのも下手だし、何の話題もないし、つまらない人間で、いつも孤独です。どうしたらいいでしょうか」
これに対して、ジェーン・スーさんは、
「自分を低く評価しても、何の得にもならない。なぜなら、他人というのはあなたが思うほど、あなたのことに関心がないから。もしあなたが自分で自分を低く評価したら、他人はあなたをそういう人間だと思うだろう。だから、自分を低く見積もるという思い込みから、まず解き放たれるべきである」
といったようなことを答えていた。
結局は、自分の脳の中の問題なんだな。
そういえば忌野清志郎も歌っているではないか。「そんなに心配するなよ、頭の中が感じるだけさ」(忌野清志郎「セラピー」)と。

※「セラピー」を「世界でいちばん優しい歌です」と矢野顕子さんに言わしめた忌野清志郎さんが亡くなったのは、2009年5月2日のことだった。

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