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あとで読む・第51回・水道橋博士『本業2024』(青志社、2024年)

四半世紀というのは、ひとつの区切りなのだろうか。以前この場でとりあげた岸本佐知子さんの『わからない』(白水社、2024年)は、21世紀に入ってからの岸本さんの単行本未収録の文章を集成し、「四半世紀分のキシモトワールド」(同書帯文)と銘打って、かなり分厚い本に仕上げている。同様に、水道橋博士の『本業2024』も、四半世紀分の書評や解説など、本にまつわる文章を集成し、「書評大全」(「まえがき」)という様相を呈している。
本書の前半は、かつて刊行された『本業』(ロッキング・オン社、2009年、文春文庫、2013年)を再録している。『本業』は、タレント本に特化した書評本である。そして後半は「ボーナストラック」として、一般の本の書評や解説、帯文、対談など、単行本未収録の文章を集める。これが全体の半分を占めており、四半世紀の記録としては、岸本幸子さんの『わからない』よりもさらに分厚い。

タレントやタレント本にあまり興味のない私が最初に刊行された『本業』を読んだ理由は、とりあげた本の中に私の大好きな大竹まことさんの『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』(KADOKAWA、2004年)の書評が載っていたからである。この味わい深いエッセイ集がなぜ世間でとりあげられないのか、当時は不思議でたまらなかったが、水道橋博士がとりあげてくれたおかげで、自分の感性は間違っていなかったと、溜飲を下げたのである。

水道橋博士のnoteを見たら、阿佐ヶ谷駅南口に隣接する八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店にサイン本を置いてきたと書いてあったので、都内で所用があった帰りに、途中下車をして入手した。中身がどんな内容か知らないまま買ったのだが、帰りの電車の中でさっそく開くと、かつての『本業』が再録されていたことを知り、当然そこに大竹さんのエッセイの書評が載っていたので、私は懐かしくその書評を読んだ。書評に書かれているいくつかのエピソードは私もよく覚えていて、思わぬ再会をした気分になった。

私がいまこうして「本と自分」を中心にしたエピソードを書き続けているのは、おそらく『本業』を読んだ影響が大きい。もちろん水道橋博士のようないい意味でケレン味のある文章は書けないけれど、本と自分との距離感を意識しながら文章にしていくスタイルは、そのときから憧れていたのかもしれない。

それにしても八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店は危険である。うっかり足を踏み入れると1冊だけではすまなくなる。このとき手に入れたほかの本についても、いずれ書くかもしれない。


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