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あとで読む・第48回・尹雄大『聞くこと、話すこと 人が本当のことを口にするとき』(大和書房、2023年)

尹雄大(ユン・ウンデ)さんの本を読んでみたいと前から思っていた。手始めに何を読んだらいいか、最初に知ったのは『さよなら、男社会』(亜紀書房、2020年)だったと記憶する。それを読んでみたいと思いつつ、そのタイミングがなかなかなかった。というよりほかに読む本があり、そこまでたどり着かなかったというのが正直なところだ。
先日、地元にある独立系書店で標記の本が置いてあったのを見て、思わず買ってしまった。というのも、「人に話を聞くにはどうしたらいいのだろう?」ということが、ここ最近の私自身の当面の課題だったからである。もちろんこれまでもたくさんの人の話を聴いてきたし、自分の傾聴姿勢にはいささかの自負もある。しかしその傾聴姿勢は本当に正しいのか、と考え出すと、とたんに怪しくなっていく。
思いつめていわゆるハウツー本にも飛びついたけれど、なんかしっくりこない。箇条書きで書かれた「こころがまえ」は、たしかに即効性があるのかもしれないけれど、それを守ればコミュニケーションが上手くいく、くらいであれば苦労はしない。
標記の本はもちろんハウツー本ではない。考える素材を提供してくれる。
少しずつ最初から読み始めているが、たとえばこんな言葉は、ハウツー本には絶対にあらわれない。

「共感をあてにして『私のことをわかってほしい』という思いを募らせてしまうと、ともかく自分への注目を目的とした話の運びをするようになるし、聞き手の同意を取り付けるためにさまざまなテクニックを無自覚に用いるようになる。自分の存在の手応えを他人に貪り求めてしまう。そこまでの飢餓感を抱くのは、人間だからこそである。(中略)
『それは大変でしたね』と共感も高く、エモーショナルな反応を示す方がウケがいいのはわかっている。だけど、それは真摯さに欠けると思ってしまう。なによりその人の声が、音のズレが気になって仕方ないので、そんな態度がとれない」

「たいていの場合、人は相手の話を『その人の話』としてではなく、『自分の話』として聞きがちだ。自分の理解できる範囲の出来事を相手に見出しては『わかる』と言い、共感できないことはただちに『わからない』と判断する。わからなさを前にした途端、実際には口にしなくても、心の中で相手の話に対して『つまり・結局・要するに』をもちだして解釈することに忙しい。そのあとに続くのは、『だから良い・悪い』のジャッジだ」

とくに後半のくだりは、自分でも知らず知らずのうちにはまってしまう陥穽だ。このあとも「その人の話をその人の話として聞く」というキーワードが出てくる。ジャッジをせず、ただ完全に聞く場であろうとつとめることが大事だと続く。ただし「『完全に聞く』とは相手を完璧に理解することではない。わかろうと試みる状態のことだ」とも述べている。
これを読むだけでも、相手の話を聞くという行為は一筋縄でいくものではなく、ましてや箇条書きでそのノウハウを説明できるようなものでもないことを実感する。「その人の話をその人の話として聞く」にはどうしたらよいのか、どうしたら「わかろうと試みる状態」を作り出せるのか、答えはこちら側に委ねられている。


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