見出し画像

いつか観た映画・邦題偏愛

若い頃に憧れた職業のひとつが「映画の邦題をつける仕事」だった。

たとえば、アメリカ映画の「The Longest Day」(いちばん長い日)を、当時、20世紀フォックスの広報担当をしていた水野晴郎が「史上最大の作戦」と意訳した邦題をつけたのは、有名な話である。
逆に、この「いちばん長い日」という直訳をあえて邦画のタイトルにつけたのが、岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日」である。この映画は、まぎれもない傑作である。そもそも原作のノンフィクション書籍も同名で、「The Longest Day」を明らかに意識してつけたタイトルであるといわれている。
あと憶えているのは、シガニー・ウイーバー主演で私が大好きだった映画『愛は霧のかなたに』(1988年、アメリカ)の原題が、『Gorillas in the Mist(霧の中のゴリラ)』だったこと。原題を直訳しただけの邦題だったら、絶対に多くの観客を動員できなかっただろう。
ロビン・ウィリアムズ主演の『いまを生きる』(1989年、アメリカ)の原題が「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」であることは有名である。
これまた私の大好きな映画『愛と哀しみのボレロ』(クロード・ルルーシュ監督、1981年、フランス)の原題は、「Les Uns et les Autres(片方ともう片方)」である(フランス語の直訳に自信がない…)。

いつもすごいなあ、と思うのは、アメリカのドラマ「刑事コロンボ」の邦題である。
私が一番気に入っている邦題は、
「祝砲の挽歌」(原題は‘By Dawn's Early Light’)
である!
この邦題は、ドラマの内容からしても、語感からしても、見事というほかない。
一生に一度でいいから、こういうタイトルをつけてみたいなあ。
ほかにいいと思ったのが、
「構想の死角」(Murder by the Book)
「別れのワイン」(Any Old Port in a Storm)
「逆転の構図」(Negative Reaction)
「自縛の紐」(An Exercise in Fatality)
「権力の墓穴」(A Friend in Deed)
「偶像のレクイエム」(Requiem for a Falling Star)
「ロンドンの傘」(Dagger of the Mind)
「忘れられたスター」(Forgotten Lady)
「魔術師の幻想」(Now You See Him)
「さらば提督」(Last Salute to the Commodore)
「美食の報酬」(Murder Under Glass)
ほら、名作には、やはりしびれるような邦題がついているではないか。

邦題でなくてもかまわない。日本の連続ドラマの各回のタイトルをつける仕事でもよい。
「ウルトラセブン」のタイトルも、子どもの頃、ワクワクした。
「姿なき挑戦者」
「狙われた街」
「月世界の戦慄」
「ノンマルトの使者」
「第四惑星の悪夢」
とか。
だいたい「戦慄」なんて言葉をタイトルに使うなんて、ハナっから小学生にわからせようという気がないのだ。
だが、それがいいのだ。現に小学生だった私は、こういうタイトルにしびれたのである。
キング・ジョーが登場する「ウルトラ警備隊西へ」は、岡本喜八監督の映画「独立愚連隊西へ」をもじったものだし、最終回の「史上最大の侵略」は、映画「史上最大の作戦」をもじったものである。
ウルトラセブンの記念すべき第1作「姿なき挑戦者」も、1967年公開のイギリス映画「姿なき殺人者」をもじったものか。ウルトラセブンの第1回の放送は1967年10月である(「姿なき殺人者」はその直後の公開かも知れない点が気になるが)。ちなみに「姿なき殺人者」も原題とは異なる邦題で、原題は「Ten Little Indians」。アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」が原作となった映画である。こうなるともう、複雑すぎて何が何だかわからない。
もはや完全に子どもの視聴者を度外視して、大人だけで楽しんでタイトルをつけている様子がうかがえて微笑ましい。そんな遊びをしてみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?