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日常〜毎日がおかげさま

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子宮体がんになってから始めたnoteですが、癌のことばかり考えているわけにもいきません。何気ない、かけがえのない日常をまとめてみようと思います。
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#子宮体がん

一生忘れないよ♡

昨日は母の日。 夫君から母の日のプレゼントで紫陽花が送られてきました。 それだけでも嬉しいのに、夕方には娘からも母の日のプレゼントが送られてきました。 今までこんなことをしてくれる娘ではなかったので、喜びもひとしお✨ この4月からアルバイトを始めた娘。 自分で稼いだお金で買ったのだと思います。 一生忘れないよ💕 本当にありがとう😊💕 大切に育てます❤️ 追記:喜んだのも束の間、夜に泣き言を電話してきた。アルバイトでミスしてお客さんから罵られたらしい。働くって大変。なんと

母の愛

義伯父の葬式は家族葬だから 相手方も来なくていいと言っている そう、母から聞いた もやもやしていた でも、真相は 抗がん剤の副作用で脱毛し 今、 私、 ウィッグ被ってるからね どこまでも 母の愛

子離れしていく☆弱みを見せていく

娘が大学に行くようになったら、娘の自律のために子離れしようと決めていた。 なのに、娘の引っ越しの際、あんな事になっちゃって。 娘は初めての一人暮らしで精神的に落ち込んだ。 私が手術して退院する日に一旦帰ってきた。 この時点で留年を覚悟した。 それからは頑張った。 ビックリするくらい娘は頑張った。 でも、1月の終わり、突然帰ってきた。 もうボロボロだった。 私は自分のせいだと思ってしまった。 私が病気になったばかりに、娘の新生活に水を差してしまったと。 でも、考え方を

尽くしてくれた母

突然の発症から緊急手術までの間、母によく看病してもらいました。 なんて親不孝者なんだと落ち込む事もありました。 私の父はリンチ症候群で、25歳の時に直腸癌になってからずっと色んな病気を患いました。 母はずっと父の看病をし続けました。 父はそれを当然のように思っていて感謝しませんでした。 そんな両親を見てきて、「結婚は人生の墓場だな。」とマジで思っていました。 母が気分転換で習い事をしたり楽しんでいると、父は必ずそれを妨害しました。 母は勝気な人ですが、度重なる父の仕打ちが

娘の成長

大学一年生の娘… 留年が確定しました。 娘とのLINEのやり取り。 母さんは頑張って立ち向かってたじゃん この部分でグッときましたね。 ちゃんと見てくれてたんだなって。 1月に娘は急に帰ってきて、私は職場復帰して2ヶ月目のこと。 授業に出てない段階で、もう留年だろうなと覚悟を決めていました。 帰ってきてから、美味しいものを食べさせてあげようと夕飯で娘の好きなものを作っていました。 でも、その後は娘がずっと夕飯を自ら作ってくれました。 それこそ毎日毎日。 見守りながら

白いズボン

春らしくなったので、ついついポチッとなと春物の服を楽天で買っちゃいました。 買ったのはホワイトとベージュのズボン。 何を血迷ったかホワイト! こ〜んな感じ♫ 夜勤明けで着てみてウキウキ♫ 楽ちんな服だ〜♫ もう生理がないもんね。 だから、ホワイトのズボンだって履いちゃうんだから☆

立春におみくじを引く

昨日は立春だったので神社参拝してきました。 またまたおみくじを引いちゃいました。 お正月に引いたのにね。 父の氏神様参拝。 父のお墓にも参りました。 大吉でしたが… このおみくじ… 引き当てたの2回目です。 前回引いたのは…2022年1月4日、病気になった年でした。 大吉でしたが、3月31日に突然の大出血! あの日から人生は一変しました。 なんか…大吉でも、もやもやする〜… なんか同じ事が起きそうな予感がする〜… 今月また娘と旅行する予定にしてるし… 引くんじゃなかった

悩めるお年頃の娘

娘が突然帰ってきた。 日勤が終わってLINEを見たら「迎えにきて」と。 悩める乙女。 行きたい大学に行ったのに、やりたい事が見つからないと言う娘。 ホームシックにもなった娘。 否、今も絶賛ホームシック中。 たぶん、留年するだろう。 母は学費を稼ぐために頑張って働きますよ。 やりたい事が見つかったらいいね。 大阪の大学近くのアパートに引っ越しをする時に、私が突然病気になっちゃって… 色んなストレスが重なったのもいけなかったのかもしれないね。 娘、赤福をお土産で買って帰

夢のまた夢

自分が出血性ショックで死にかけて、緊急手術で子宮と卵巣をとって、抗がん剤を6回もして、その後、胃癌の治療でESDをしたけれど、何だかもう遠い出来事だった気がする。 その時その時でしっかり向き合って対応してきた。 一生懸命だった。 でも、なんだかもう昔々の出来事のように感じる。 ESDの退院3日目にそう思ったの。 不思議なもんだな。 天下を取った秀吉の辞世の句 「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」 先人達が「この世は夢幻の如くなり」などと言っ