派生に次ぐ派生

流れ星を見たその時から、流れ星を見たことを文字にしたいなと思った。あっという間の出来事なので、本当に自分が見たものが流れ星であったか、見た直後に3回くらい、繰り返し自分を疑ったけど、その問答を経て、あれは流れ星であった、と確信した。流れ星を見た。

流れ星を見たのは、その場所に行く最後の日だった。正確には出張で数年行っていた場所での最後の打ち合わせを終えた日だった。
そっから一旦職場に戻り数時間過ごして、帰宅の段。寒くなかったし歩いて帰った。歩いて気づいたのは、1人で過ごす時間の開放感だった。

川沿いを歩いてると、大学生らしき4人組が前を歩いていて、私が彼らを追い越すとき、私も加わって5人組になったような瞬間があり(なってない)、そしてまた1人で歩く。
川沿いには桜の木がある。まだ全く咲く気配はないけど、川沿いには立て看板も出ていた。お花見で騒ぎすぎないように、という警察署の看板。こういう看板は準備されるの早いな、この看板を設置する人にとっては看板すらも季節感を感じるものかもしれない、と思いながら川沿いを歩き終える。

小道を闇雲に歩いて、いつものよく知ってる道に出て無事帰宅。
そして数日過ぎた今日思うのは、終り方に満足する日があるのかどうかということ。最後だったあの日、もっと話したいことがあったんじゃないか、と思うと同時に、もっと工夫したかったと思い続けている別の最後の日を思い出した。あの時最後の日にやり切るべきことを学んだはずなのに、また別のやりきれなかった最後の日を作ってしまった。

今朝方みた夢は、話したい人と話している夢だった。その人に私が話しかけ、その人に聞いてほしいテーマを私が投げかけた瞬間、滑らかに目が覚めた。話している私と目が覚めた私がスムーズにつながっていて、目が覚めた瞬間に、まだ話している感覚が残っていた。
まだ話したかったと思うのと同時に、地続きな夢と日常が面白くて満足した。
終わり