妊活ライターの不妊治療記録③(ラスト)

子宮外妊娠によって、左側の卵管を失った私。

次の妊娠は余裕をみて1年後にと言われ、術後1ヵ月で仕事にも復帰しました。このとき30歳。「前回はたまたま子宮外妊娠になったけど、次は大丈夫だろう」とまだ気楽に考えていました。そして避妊をやめたら、また即妊娠! 「やっぱり私は妊娠しやすいのね~」なんて喜んでいたのもつかのま、初期の稽留流産となってしまったんです。

このとき受診したのは、1回目の妊娠時とは全く別の産婦人科。次は大丈夫だろうと思い、施設のキレイさと食事の豪華さで選んでいました。
きっと経過が順調な妊婦さんにとっては最高のクリニックなんでしょうけど、流産処置をするだけの私にとっては最悪のクリニックでした(泣)。
すぐ隣の診察台から元気な心拍音や「順調ですね~」なんて喜ばしい声が聞こえるなか、私の子宮の中をきれいにするためのそうは手術が行われ、術後は待合室のすみっこに置かれたベッドで横に。麻酔で朦朧とするなか、妊婦さんにチラ見される気分といったら…消えてしまいたいくらいの気持ちでした。
 
1回目が子宮外妊娠、2回目が稽留流産。
1回目の子宮外妊娠はたまたま巻き込まれた交通事故だけど、2回目は私も信号無視したよね…ぐらいの気持ちになっていました。私に妊娠できない原因があるのかもしれない…と。思いつくのは、不健康な生活。

その頃の私は昼前に起床→仕事へ。朝昼兼用のご飯を食べる→夜中まで仕事→深夜0時頃に晩御飯を食べて2時頃帰宅(2~3ヵ月に一度は徹夜も)という生活。そうじゃなくて、自炊して健康的な食事を三食食べて、運動して、睡眠もとって、健康的な生活を送れば、今度こそ出産できるだろうと思ったんです。
 
そこで、大好きだった仕事を辞めました。
子どもは自然と授かるものだと思っていたのに、私の場合は「欲しい」と熱望しないと授かれない。次こそちゃんと妊娠して出産したい。その一心でした。
 
でも、うまくいかないもんですね。生活を変えても全然妊娠できませんでした。
以前は避妊をやめたらすぐに妊娠できたのに、避妊をやめてもなぜかちっとも妊娠しません。
 
不妊治療クリニックを訪れたのは、仕事をやめて半年ほどたった頃。
たくさんの患者さんがいて「世の中にはこんなに妊娠できずに悩んでいる人がいたのか」と驚いたことを覚えています。
ひと通り検査しましたが、左の卵管はないものの、他は異常なし。セオリー通り、タイミング法からスタートしました。が、やっぱり妊娠しません。
 
正直、意味がわかりませんでした。
だって、私の体は健康、かつては避妊をやめたらすぐに妊娠した。なのにクリニックに通っていても、全っ然かすりもしないなんて。おかしくない???おかしいよね???
 
そこでは毎回院長先生に診てもらっていましたが、半年ほど通ったころ、たまたま別の女性医師に診てもらう機会がありました。院長先生は人気でいつも忙しそう、話も必要最低限でしたが、女性医師は診察希望の人が少ないのか、わりとのんびりとした雰囲気。
 
先生「畳さんは左の卵管がないんですね。でも右の卵巣から排卵が続いてますねぇ…」
私「そうなんです。でも左の卵管は、右の卵巣からの排卵をキャッチできるんですよね?」
先生「いや、かなり可能性は低いです」
私「え???」
 
実は、子宮外妊娠の手術をした病院では「左の卵巣から排卵された卵を右の卵管でキャッチすることもある」と聞いていました。そして実際、術後も避妊をやめたらすぐに妊娠したから、左の卵管がなくても妊娠のしやすさは変わらないだろうと思っていました。なのに…。
 
「医者まかせにしてはダメだ。自分でも調べて勉強しよう」と思ったのはそこからです。その後、人工授精をすすめられましたが、卵管が片方ない私にはあまり意味のない治療だとわかったのも、自分で調べたから。「私にはもう体外受精しかない」と分かって、“最後の砦”と言われるクリニックへ転院したんです。
 
その頃には仕事をやめて、4年近くたち、35歳になっていました。
その間「子どもはあきらめて、本格的に仕事を再開させよう」「いや、やっぱりあきらめられない」とめちゃくちゃ揺れ動きました。そして「このまま子どもができないまま、40代になったとき、私に何が残っているんだろう」という不安に押しつぶされそうでした。
 
検査を受けながらタイミングを2回ほどとり、すぐに体外受精に挑戦。
1回目の体外受精はロング法で行い、卵は20個近くとれたものの、新鮮胚移植で戻せたのは1個だけ。幸い妊娠できましたが、またも稽留流産となってしまいました。
正直、私の気持ちはここでいったん折れています。もう治療やめよう、自然にまかせよう、と。「あきらめたらできた」と聞くし、私もそれで妊娠できるかもしれない。
でも夫が猛反対したんです。大げんかもして、話し合った末、もう少しだけ続けることにしました。
2回目はアンタゴニスト法。私にはロング法では刺激が強すぎたようでした。それでもOHSS(卵巣過剰刺激症候群)になりかけたため、凍結胚移植をしましたが、今度はかすりもしませんでした。
3回目もアンタゴニスト法。移植は新鮮胚での2段階胚移植でした。
 
今思うと、3回とも違うやり方を提案してもらえたのはよかったなと思います。そしてこの3回目でようやく妊娠、出産することができました。
 
長~い自己紹介となりましたが、どなたかの参考になるとうれしいです。


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