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竜とそばかすの姫 感想

先日の金曜ロードショーで竜とそばかすの姫をはじめて鑑賞しました。
そして、事前知識がなくみたので、これ、美女と野獣では!?大丈夫なのかな?と驚きました。

ネットで調べてみると、細田守監督がオマージュであるとはっきり発言していて、なんでも、自分が大好きな作品だったからとのことでした。
東映映画に入社して、あまりに過酷なため、賃金に見合わないと思い辞めたいと、思ったとき、ディズニーの美女と野獣をみて、こんな作品がつくりたいと思って仕事を続ける決心をしたそう。

ということは、これまでの数々の細田守監督の名作は、美女と野獣のおかげといっても過言ではないですね。
こんなふうに誰かの人生を変え、その誰かがなにかを生み出し、世界を変えていく。
そんなことができるってやっぱり映画の力ってすごいなーと思います。
SNSによって、昔は、自分の周りにいるごく一部の人間にしか影響を与えられなかったのに、現在はずっとたくさんの人が、世界中の誰かに影響を与えやすい時代になって、本当にすごい時代だなぁと思う今日この頃。

そしてこの作品の内容も、普通だったら交わることはなかったでろう、離れたところにいる男女が心を通わすことで、人生を変えていく物語です。

この作品のテーマの1つは、自分とは関係のない人に対しても、助けを差し伸べるのは、とても尊いことだということでしょうか。
母親が、すずがいかないでと言ったにも関わらず、他の子を助けにいき、命を失ったという心の傷を抱えて、父親とも向き合えず、人前で歌うこともできなくなってしまったすず。
すずの想いは、「どうして見ず知らずの他人の子供のために、私を捨てたの?」というものだったと思います。ネットの書き込みにあった、人助けは善人ぶってる、や人の子供を助けて死ぬなんて自分の子供に無責任、なんていう、それこそ他人の勝手な書き込みも、すずも少なからず共感してしまっていたのかと思います。

しかしすずは、Uで竜と出会い、そのあざだらけの姿や苦しそうな様子を感じ取り、会ったことのない他人であるにもかかわらず「助けたい」と思うようになります。
そして、真実を知った時、まったくの他人である竜の中の子供を助けたいという思いから、ベルという自分の分身の「生命」をかけて、竜に呼びかけます。

正直、ここですずを一人でいかすまわりの友人や大人たちにだいぶ疑問は残りますが、そこは物語のクライマックスとして、すずが強くなった様子を際立たせるために必要な演出ということでしょう。

ここですずが武蔵小杉に向かうバスの中、お父さんは、すずのことを、お母さんのおかげで優しく育った、と伝えます。これはおそらく、お父さんは、お母さんは人に対してとても親切で優しかったと思っている、最期の行動もお母さんの優しさの結晶だと思っているのだと伺えます。

そして、お父さんは同時に、すずにもそうなってほしいと願っています。
すずはずっと自分を置いて行ったお母さんを恨んでいたと思います。
しかし、自分に竜を助けたいという想いが芽生え、自分の分身の「ベルの生命」をかけて行動したことで、あのときのお母さんの気持ちをはじめて理解、受け入れることができたのです。

私も多くの人が投稿しているのと同じように、竜の父親からの虐待がまったく解決していないのは気になります。すずが帰ってきてみんな何も聞かず平然としているのも気になりました。

竜が「助けるといってもなにも変わらない」と言われても、すずは、私は助けたいと言ったのだから、もう少し踏み込んで助けてあげてほしかったとは思ってしまいました。

すずは彼らの元へ助けにいくことで、過去のトラウマを昇華しますが、助け方が中途半端なせいで、結局、竜が言った「助けるといっても何も変えられない」人たちと一緒になってしまったという見方もでき、結局、虐待に苦しむ二人は、すずの成長のきっかけになっただけで救われず、都合の良いキャラクターになってしまった感もありました。

ただ、これは理想を言い過ぎなのかもしれません。
虐待の問題は、本当に現実でもほぼ解決できていないような問題なんじゃないかと思います。
勝手に連れて逃げたりしたらこちらが誘拐犯になってしまう。万引き家族でも、虐待から助けるというのが子供を連れていった原因になっていたが、主人公たちは逮捕されました。

ニュースで虐待の事件なんか見て、みんなとても悲しくなって、時には涙する人もたくさんいると思います。
しかし、実際にリアルでなにか行動した人なんて何人いるでしょうか。

それならば、すずのバーチャルなUの世界のベルを捨てて、リアルの竜を助けようとしたすずは、大きな一歩を踏み出せたとも思えてきます。

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