#詩と暮らす (3135字)
『詩と暮らす』
寒さの冬夜も、
吹きすさぶ嵐にもじっと耐え、
怒らず諦めず、
ただ黙々と詩を編む。
食べものは貧しく、着ものは清い。
誰かの為だとバカのように、
ひとり静かに詩人は笑う。
野に咲く花が詩人にいった。
「誰の言葉も、聞いてはいけない」
だが詩人は顔を上げた。
樵の声が、聞こえたからだ。
「斧が、切れんのだ」
刃こぼれした斧が振り上げられ、
一閃、詩人の首が刎ね飛んだ。
鋭くなった斧に満足した樵は森に消えていった。
詩人は最後の詩を編んだ。
己が踏み潰した花を見つめ、
ただ黙々と最後の詩を編んだ。
詩と暮らすとは、そういうことだ。
これは[詩と暮らす]を題名とした小説の書き出し―――、のようなもの、だ。
のようなもの、というのが重要で、この世界では、[詩人]に関する書籍を出版したり、アップロードすることが禁じられているから。
わたしの書いた文章が、公衆衛生上の問題がないかどうかはAIが決める。相互理解への合理的配慮だって。それって、どういうことだ?
ここまで書いて、わたしは、スマホのPowerをオフにした。そろそろ湯からあがらなければ、本格的にのぼせてしまう。指先はふやけてしわしわだった。硝子コップの中でプーアル茶に浮いた氷がカランと鳴った。氷だって、のぼせてんだ。この星だって、南極の氷が、のぼせてんだ。わたしは立ち上がって冷たい水で身体を流した。火照った肌が、キュウと引き締まって、もとの白さに戻っていく。「いっそ、硝子を浮かべりゃ、いいやんか」そう言ったコメンテーターはもう見なくなった。でも、いっそ、硝子浮かべたほうが現実的なのはみんながわかっている。この星が、もう、人を養いきれなくなっていることも。
わたしは、お風呂から出た。脱衣所では猫型ルンバがゴミ箱をひっくり返して遊んでいた。彼らは言った。「掃除なんて、〝詩人〟にさせときゃいいんだよ。ついでにゴミクソみたいに捨てちまえ!」
そんなこと、思ってても言っちゃだめなんだよ。合理的配慮って言葉、知らないの?
「あんたたち。掃除する気がないのなら、充電するか、わたしに分解されるか、選びな!」
額のカメラをキョドりながら充電ポートに向かう彼らを見届けたわたしは濡れた髪にバスタオルを巻いてテレビをつけた。
テレビの向こうでは真面目そうなコメンテーターがこう言っていた「今日の詩人死は、一万です。〝もっと減らせ〟と世論の声が上がっており、政府は異次元の改革案を本日中に―――」
バカみたい。〝減らせ〟ってのは、詩人の数のことだろ。この星の、食い扶持減らせってことだろが。
冷蔵庫を開けると、大豆肉、シリコーン米、疑似野菜の数々……、猫ですら、偽物なのだ、人間の食い物なんてこんなもんだ。
よく冷えたミルク(に似せた液体)を取り出してグラスに注ぐ。猫型ルンバが充電ポートで羨ましそうに喉を鳴らした。トポトポと白い液が硝子に満ちた。「―――汚らしい」わたしは何故かそう思った。
テレビでは真面目そうなコメンテーターが[詩人]について、こうまくし立てていた「詩人に投票権はない。だから、世に訴える術がない。人権もない。彼らは詩人だからです。だから、気まぐれに殺されていくのです。市民のガス抜き、詩は娯楽だから。市民は刺激を求めています。だから、詩人になりたくないとも思っています。怒らず、諦めず、詩を編み続ける、詩人。はっきりいって目障りだから。市民にとって。殺してとさえ思うのですよ。だから―――」
わたしはテレビを切った。猫型ルンバは恨めしそうにわたしのグラスを見つめていた。玄関ドアからヒラリと封書が落ちた。中にはこう書いてあった。
おめでとうございます。
△△県◯◯市 詩人協会の厳正な審査により、あなたは、[詩人に選ばれました。]
つきましては、身の上の整理の上、住まいを退去し、速やかに詩人として生きてください。
「詩人はゴミ箱!」
猫型ルンバが牙をむき出して襲いかかってきた。
「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ箱!」 「詩人はゴミ―――
とっさにミルクをぶち撒けると、ルンバはミルクだらけになった。
「ぎゃー!」
回路がショートして燃え始めた。ルンバも燃えるんだね。親機がイカれて残りのルンバも一様に脚をピーンと伸ばして泡を吹いて倒れた。
ガスの元栓を開け、急いで服を着て、玄関を開けた。マンションの管理人が驚いていた。彼とは今日で最後だ。でも、別れは言わない。「今日から詩人なので、退去します」こんなことを言えば道端で無様に殺されるから。ただ、詩だけは置いて。
『さようなら』
お世話になったね。
ありがとね。
追いかけないでそっとして、
空気を食べて生きていくから。
殺さないで遊ばないで、
詩だけを編んで生きていくから。
*
さよならの火が消えた頃。一人の[詩人]が見つかった。無惨にバラけたその身体で、ぽっかり開いた詩人の目は、汚れたネオンの空を見ていた。
詩と暮らすとは、そういうことだ。
終末が近づくこの星で、終わりの詩が響いた。[詩人]にだけ聴こえる、その声で―――
「―――よし。これで完成かな」
そう言って、わたしはスマホをバスボートに置いた。
癖っ毛から滴った水滴が、ポタリ水面に落ちた。水音が小さなバスルームに響いた。お湯にまあるく広がっていった波は、風呂のへりで折り返し、互いに打ち消し合って、消えた。
少し長湯し過ぎたようだった。でも、それももう終わり。小説を書き終わったことに安堵したわたしは、肩までお湯に浸かった。リラックスするためのお風呂で、小説書いて、目と肩を疲労させている。シロクマ文芸部の皆様は、目、お疲れでないのでしょうか。
最近、目の疲れが酷い。目をこすってみたら、お湯がじわじわ目に染みた。眼科、いかなきゃな。でも、馴染の眼科はつい最近になって閉店した。親切なスタッフと、少し怖いけど的確な診断をしてくれていた先生は、どこに行ったのだろうか。悲しくて、目がしょぼくれた。きっとクナイプのせい。毎度、入れ過ぎなんだよ。掛け湯して、お風呂を出た。
冬を目前に控えたこの時期、のぼせた身体に丁度いいくらい部屋は冷えていた。YouTubeで垂れ流す知りもしないJazzが小さく鳴っていた。わたしは冷蔵庫を開けた。なんだか、さっき書いていた小説みたいじゃないか。
わたしは冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。グラスに注いでゆっくり飲む。次はなんだ。小説の女はどうなった。窓から見る夜景は、いつもと変わらなかった。
わたしは封書が届いていたのを思い出した。だが、わたしは開けない。詩人のように、他者に身を委ねるなんて嫌だから。
ドアが叩かれた。
「マンションの管理人です。封書は届きましたか。匿ってあげるよ」
わたしの返事を待つことなく、ドアノブがガチャガチャと音を立て続け、ドアは開放されることを希望する。だが、わたしは開けない。開けて犯されるなんて嫌だから。
わたしはガスの元栓を開けた。猫が、足元でじゃれてきた。「一緒に行こう」そう言って。わたしはマッチを擦った。スローモーションが再生され、炎が燃え広がるのがわかった。爆炎が、とても綺麗に見えた。
吹き荒ぶ爆風に叩かれながら、わたしには、詩が聴こえた気がした。
終わりが近づくこの世界で、わたしにだけ聴こえる、その声で。
[おわり]
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