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風の色 #シロクマ文芸部


 「風の色」を読む。これは草人"くさびと"にしかできないことだ。

「西の風は、ハルメキオ〜」

 光合成を終え満腹になった彼らは風読み"かぜよみ"をしながら丘を下っていた。季節の風が黄金の草原を海原のように揺らし、タポポの花が綿毛を飛ばしていた。

「東の風は、アデムニュロ〜」
「南の風は、キタタミナ〜」
「北の風は〜」
「待て待て、北の風の色は読んじゃダメダメ!」
「読んだらミミズを呼んじゃって〜」
「草人パクリ!」
「だから北の風の色はわからない〜」
「ぼくら読めてもわからない〜」

 タポポの綿毛は種子を内包していた。種子はいずれ草人に成長するのだ。だから草人は綿毛が北へ飛んで行かないように風を読むのだ。

「そろそろ"お供え"の頃ですかな」
「左様だな、幾つ用意しようかのう」
「そうだのう」

 そう言って、木人"もくじん"は窓から外を見た。

 季節の風が彼の梢をさわさわと揺らした。草人には風の色が見えるらしい、というのは木人たちも知っていた。だが彼ら木人には風の色など見えぬし、草人の話す風の色の説明は全く意味不明な単語と取り留めない理解不能な内容だらけで、多くの木人は"風に色などない"と考えていた。風読みの歌を歌い丘から下ってくる草人を窓から眺める木人の彼も風の色など草人の妄言だと思っている一本の木人であるが、己の梢を揺らすこのような心地よい風に色があるとすれば見てみたいとも思っていた。木人の彼は草原から下りてくる草人の数を数えてみた。丁度彼の枝の数と同じ五匹であった。

「五でどうだろう」
「良い。神様の亡きお姿は五本ずつ指というものがあったそうな。まさに片枝で足りる数、いや手かな?」
「ふむ」

 納得した木人の彼は窓からひらりと飛び出してその立派な根っこで草原の丘に下り立った。

「木人"もくじん"様だ!」

 突然の来客に驚いた草人に木人が言った。

「いいところに連れてやろう」

 そうして草人たちは地下に消えた。



「神様はお喜びだったか?」
「そうだのう」

 木人の彼は窓の外を眺めていた。傾ぎだした陽の光が草原の丘を照らし眩しかった。タポポの綿毛は風に乗り遠く南へ運ばれていた。綿毛もあと少しといったところ、と彼は換算していた。それは心地よい季節が時期に終わることを暗示していた。

「しかし神様は何故ミミズへ身体を作り変えてまで地下に潜らなければならなかったのだろうな」
「そうだのう」
「そこまでして生き延びたかったのだろうかのう」

 彼は答えなかった。

「この星は、地下に潜らなければならないほど、汚れてしまっているのだろうかのう」

 木人の彼は答えなかった。

 ただ己の梢を揺らす風の色について考えていた。この平和で汚れた世界に、吹く風の色について。

「ニンゲン、ミミズ、神か」

 そう言って、おしゃべりな木人"もくじん"は椅子から根っこを下ろして立ち上がった。

 片割れの寡黙な木人が今死んだのだ。おしゃべりな木人は死んだ片割れの梢から一握りの種を取り上げた。種は微かな呼吸をはじめていた。これから始まる長い冬を越せる種はどれほどだろう、と彼は考えていた。

「何万年と続くこの歪な世界に終わりはくるんじゃろうかのう。いや、私が今この種を握り潰せば世界は確かに終わりへ近づくが、わかっていてもそれができんのだ。それはニンゲンに作り変えられた存続プログラムによるものか、ニンゲンの手を離れた一個生命としての慈愛によるものか。できれば後者であってほしいと思うが、それは草人"くさびと"の言う風の色と同じ、わかりようがないというものだ」

 木人"もくじん"は去った。
 丘を北から暗雲が覆い始めた。冷たく湿った重い空気がタポポの綿毛を落としていった。草人"くさびと"は季節の変わりを喜んだ。強く巻いた風が草木を揺らし、いくつかが折れ、空に飛んでいった。草人"くさびと"は風に舞う草木を掴んでは集め、冬衣の仕度にしようと大忙しだった。長く辛い冬が来たのだ。

 風の色。

 この不穏な風の色は誰にもわからない。それは、草人"くさびと"にしか読めないのだから。



[おわり]
#シロクマ文芸部
#風の色

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