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祈り #逃げる夢 (1429字)


 逃げる夢を追いかけていた。

 逃げる夢は、僕よりずっと先を走っていた。電球がまばらに灯る暗いトンネルを僕は走っていた。通り過ぎる電球がふたりの影をコンパスのように回していた。足音はこだまになって、遙か先に見える光を目指して、僕は走り続けていた。

 なぜ走るのかわからなかった。逃げる夢を追いかけて走り出したんだ。いつの間にか逃げる夢を追いかけ、走り続けることが目的になっていた。なぜ、こんなに辛く頑張っているのかわからなかった。暗いトンネルを走り続け、疲れ果てていた。僕は自分の足を見ていた。足は僕の意思とは関係なく前に前に進み出していた。

 どのくらい走っていたのだろう。目の前に、まばゆい光が見えた気がした。僕は走った。逃げる夢はすでにトンネルを抜け、光の中に立っていた。僕も彼を追った。僕はトンネルを抜けた。そこは雪国だった。

 「ずいぶん、寒いな」

 彼は、降り積もった雪を踏みしめて言った。足元を見ながら、初めて踏む雪の感触を心地よさそうに。

 僕は言った。

 「もう、逃げないのか」

 逃げる夢は、足元を見ながら言った。

 「ああ。もう必要なさそうだ。それに、ここがどこか、わかっているんだろ?」

 僕はうなづいた。わかっていたさ。僕の夢は、ここから始まったんだ。

 「この日本の原風景から、国を作り変えるなんて、大それた夢が始まるとはね」

 逃げる夢は、天を仰いだ。息が白く立ち上がるのを見た。彼は言った。

 「仕方がなかったんだろ? 政治が弱体化しつつある中で、若いきみたちが変わっていかなきゃならなかったんだろ? で、どうだった。この国は、少しでも良い方向へ向かったかい?」

 僕は、それには答えなかった。その代わりに雪をつま先で蹴り上げた。白い煙が舞い上がって白い大地に降り落ちた。雪は、ふたりの足跡を跡形もなく消していた。時代に翻弄された僕の情けない姿すら消していくように。僕は逃げる夢に言った。

 「仲間が、いたんだ」

 「知ってるさ。きみが、誰も信用していなかったことも。本当は、きみがとても怯えていたことも。取り返しのつかない事件を起こし、命を絶とうとしていることもね」

 彼は、僕を優しく見つめてくれた。

 僕は目を閉じた。沢山の仲間の顔が蘇ってきた。総括の名のもとに殺した沢山の仲間の顔も蘇ってきた。仲間に、仲間を沢山殺させた。山中に埋め、放棄した。偶然警察に取り囲まれた時、僕は安堵していた。「やっと終われる」と。

 全てを見透かしたように逃げる夢が僕の足元を指さした。足元がぐにゃりと沈み込む気がした。手で雪を掘ると嬰児みどりごを抱く女が埋まっていた。

 僕は泣いた。

 「済まなかった。本当に済まなかった。殺すつもりじゃなかったんだ。衝動を止めれなかったんだ。みんなの心をまとめたかっただけなんだ」

 冷たくなった女の顔を抱き赦しを乞う僕に逃げる夢は言った。

 「償う気は、ないのかい?」

 そう言って、彼は僕の首にロープをかけた。「念のため聞いただけだけど」と付け足して。逃げる夢は言った。

 「でも、少しズルいな」

 僕は笑った。

 逃げる夢は、もう逃げてはいなかった。僕も追いかけるのをやめていた。逃げる必要がなくなったんだ。


 足元の踏み台が倒れ
 衝撃が背中に走り
 首の骨が外れる音が聞こえた。



 薄れていく意識の中、僕は祈った。

 次の世が、格差も、分断も、貧しさもない、誰もが安心して生きて行ける平和な世の中であることを―――




[おわり]

#シロクマ文芸部
#逃げる夢
#赤軍

 

 

 

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