見出し画像

LGBT成人式の思い出

トップ画像は娘です。成人式っぽい写真が手元になかったのでとりあえずレインボーで。

2011年、初めて東京でLGBT成人式が開かれた時、当日スタッフとして参加しました。

当時、主催のRe:bitのメンバーに私と夫(当時彼氏)の親友がいて、こんなイベントがあるから手伝ってと声をかけてくれました。

当時はまだまだLGBTという言葉が知られる前、私もその友人のセクシャリティーはざっくり知ってるけど、セクシャルマイノリティの全体像がわかっていない状態。

式の前の打ち合わせや、当日の参加者との懇親会ではなんとも不思議な気分。

私と彼以外ほとんどみんなセクシャルマイノリティなので、その場では私たちの方がマイノリティだし、例えば私は他の人からはレズビアンやバイセクシャル、あるいはトランスジェンダーに見られる可能性が出てくる。

私はたくさんあるセクシャリティのうちの、生まれた体が女性で、自認が女性で、恋愛対象は1人で、その相手は男性、というだけ。

印象的だったのは、成人式当日のパーティーで、私には男性に見えた参加者さんに、ゲイなんですか?と聞いてみたら(失礼なこと言ってないかどきどき)、すごく嬉しそうに、そう見えますか!?と。

その方は実はトランスジェンダーで、男性に見えることがとても嬉しかったそう。その方は男性ホルモンを使用して、髭もしっかり生えていて声も低くて、私はそれまでホルモン治療や手術をしていないトランスジェンダーの人しか会ったことがなく、シンプルにそんなに変わるんだと驚いたし、その人にとってはものすごく大事なことなんだというのが伝わってきました。

振り返ると、私がセクシャルマイノリティの人たちに出会って浅い頃は、みんな違ってみんないいなんて気軽に思っていて、その時の方が無理に共感しようとしてたというか、なんとかその時の自分の知識の範囲で収めようとしてたような気がします。

私も小さい頃ピンクが好きじゃなくてズボンばっかり履いてたよーとFtMの友達に言ったり(ボーイッシュな女の子、と男性でありたい、は別物だと後に知る)。

それにどこか、助けてあげなきゃと思っていて、それは無意識に相手を下に見ていたのかなと。

私の想像よりはるかに違いは大きい、全く理解できないと体感してからの方が、対等という意味がわかってきたような気がするし、全く新しい価値観に出会うのが楽しいです。

自分の感覚も相手の感覚もそのままに、でも新しい感覚を知って、あれもアリ、これもアリ、と世界が広くなったら、生きやすくて楽しいなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?