映画感想録① 『ゲゲゲの謎』

 今話題の…というには時期が遅れましたが、本日(2024/01/17)『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を見てきました。実際の公開日が2023年11月17日なので、2か月くらい経ってますね。公開から月日が経っているので、田舎の映画館では一日に一回ぐらいしか放映されないです。観れるだけありがたいことですが。
 映画の簡単な感想としては、面白かったです。しかし、人に勧めるならゲゲゲの鬼太郎作品が既に好きな人に限定しますね。鬼太郎シリーズを知らない人が見ても、面白いかもしれませんが、オススメはしません。なぜかというと…下のネタバレ込みの感想・考察を読むとわかると思います。









以下映画のネタバレを多く含みます。未視聴の方には読まないことをお勧めします。








 上記で、鬼太郎シリーズを知らない人にはおススメしないと書いたのは、本作は「鬼太郎誕生秘話」であり、大半のキャラは悲惨な最後を迎えるからです。あくまで鬼太郎が誕生するまでの過程を描いた本作は、本編の「鬼太郎」に繋がるように作られています。なので、水木やある謎の少年(推定:ねずみ小僧)以外のキャラに対する制作側のスタンスはかなり無慈悲です。特に、本作のヒロイン的ポジションである紗代は報われません。私自身、映画自体は面白かったはずなのに、どこか気が晴れません。正直、もう一回見たいとは思えませんでした。なんでもやもやするんだろう―なと考えていたら、一つ解せないことがあったんですよね。それは、水木が紗代から目を背けたことです。映画を観た方はわかると思いますが、ある決定的な場面で水木は紗代から顔をそらし、そのことに紗代が絶望し、完全に闇落ちします。

そこで、今回考えたいのは
なぜ、水木は紗代から目を背けたのか。

結論から言うと、水木が紗代に対して抱いていたのは恋愛感情ではなく、負い目にすぎなかったからだと考えました。

このことについて詳しく書く前に、簡単な状況整理を行います。

 紗代は元々、龍賀紗代として周囲の人々に道具のように扱われる自らの人生に辟易し、そんな村から自分を連れ出してくれる存在を求めていました。東京つまり村の外から来た水木は紗代にとって、道具ではない自分自身を見てくれる理想的な人物でした。しかし、水木は龍賀の一族に近づくため、その秘密を探るために紗代を利用しました。そして、紗代は水木が自分の知られたくなかった秘密を既に知っていること、その上で自分から目をそらしたことに絶望するのでした。
 水木も紗代が自分自身を見てほしいと思っていることあるいは紗代から目を背けることが彼女を傷つけることは理解していたはずでしょう。それでも水木はそうすることができませんでした。彼がそうできなかったのは二つの負い目があるからと考えました。まず、上記に述べたように紗代を龍賀の秘密を探るために利用したこと。水木は結局、村の人たちと同様に「龍賀」の一族の一人として扱っていたんですよね。
 もう一つは、水木は紗代の向けられた好意に応えることができないということです。水木の紗代に対する接し方はあくまで少女、大人の女性や恋愛対象として接しているわけではないのだと感じました。この点が私の勘違いしていた点です。私はtwitterで水木と紗代のカップリング的なイラストをよく見かけていたことや紗代がヒロイン過ぎて、水木と相思相愛だと思ってたんです。というか、そうだと思っていたかったです。




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