「ふろしき讃歌」

「ふろしき讃歌」

浦上天主堂の主任神父である川添猛さんのエッセイです。
長崎を旅行した際に堂の購買部で買った掘り出し物です。
原爆の日が来るたびに読み返す大切な一冊。
多分以前にも紹介したことがあるかもですがご容赦ください。とても好きなんです。

町に生きる人々にとって、信仰がどのように息づいているかが神父様のユーモアと優しさ溢れる文章で綴られています。若い神父とバレンタインチョコ数を競ったり、トイレットペーパーの消費増を嘆いたり、夫婦喧嘩の板挟みにあったり。そんな日々の危機??を聖書片手にさばいて??行く様に大笑いしたり感心したり、ほっこりしたり。
タイトルのふろしき賛歌とは、信教とは信徒の心を箱で囲い込むのではなく、それぞれの形に合わせてふろしきのように包み込むようにあるべきだ、という氏の考えから来ています。が、シスターたちからは、
「神父様が大風呂敷って言う本を出したそうよ!」と妙に納得されてしまうという(汗)

「夫のギャンブルを主はお許しになるか?」というある信徒の奥さんの告発に、
「正直に告解したものに主は許しを与えたもう」
と答える川添神父。勝ち誇る旦那さん。
「ただし、勝ち負けを正直に奥さんに報告する勇気も主は与えたもう」
と言って奥さんの溜飲を下げる。
旦那たまらず「神父様ばおっかあがおらんからそんなこと言えるばい!」
そんな落語長屋のようなエピソード満載(笑)

しかし中でもこの時代だからこそ読んで欲しいのは、
(遠藤周作の沈黙にて苛烈な拷問でも信仰を捨てることのなかった)かくれキリシタンの子孫たちが、その後自ら進んで棄教するに至る様子が生々しく描かれた部分。
燃え盛る畑に集められた信仰道具の山を囲む村人たちが、逃げるように一人また一人と無言で去って行く様子が、上で書いたような氏の優しい眼差しで綴られている様は、信仰とはなんなのだろうと思い起こさせる強烈な印象があります。

沈黙の次に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?