安部公房論ー新潮2024/3、における、特集「安部公房生誕100年」の記録ー
安部公房論ー新潮2024/3、における、特集「安部公房生誕100年」の記録ー
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2024/3の、新潮で、安部公房生誕100年の、特集が組まれていた。特集ということで、普段、文學界しか買わないのだが、これは必要だ、と思い、即座に購入したのを覚えている。今回の安部公房論は、この新潮の紹介と総括をやっておこうと思う。何分、月刊誌の評論というものに馴れていなくて、大幅に紹介という形式を取るだろうことを、初めに記して置く。この雑誌が発売されたのが、2024/2/7のことである。これから、その後、新潮文庫で、安部公房生誕100年の、文庫本表紙改変の作業が始まり、未発の小説や、未完の小説が、文庫本で発売されるようになり、安部公房ブームの様なものが起こった。『箱男』に至っては、映画化される事態となり、楽しみで嬉しい、まさに、安部公房マニアにとっては打って付けの一年になりそうな予感である。
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自身も、この安部公房ブームに乗り、勿論、昔から好んで読んではいたが、文庫本では飽き足らず、安部公房全集まで買ってしまうという、勢いの最中、この、note、において、安部公房論を30論書く、と言い放ち、その実現のために、日々を費やしているところである。もともと、中学か高校の頃、安部公房の小説が教科書に載っていて、その時知ってから、高校の時に、『カンガルー・ノート』を読んで傾倒し、大学や大学院に行っても研究こそしなかったものの、自身の文学的基盤に、安部公房が居たことは、それは現在まで続いている真実なのであるから、当然、この新潮も購入不可避だったのだ。
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さて、この、「安部公房生誕100年」の特集とは、どういうものだったかと言えば、6名の作家が、安部公房について述べた文章。それに続き、安部公房の写真作品コレクションが載っている、というものである。6名の名を挙げれば、円城塔、小山田浩子、島田雅彦、平野啓一郎、福永信、星野智幸、となる。何れも、自身の安部公房論、というより、安部公房観、と言った方が適切かもしれない、一人、2ページにわたって、文章が載せられている。ここで、詳細を述べるつもりはない。また、安部公房の写真作品コレクション、の感想を書く予定もない。ただ、こういう特集が組まれた、という事実が、この時既に、安部公房ブームを予見していたであろうことは、想像に難くない。
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今現在のところ、自身の、安部公房論30論執筆と、映画『箱男』を観ることの2点が、今年の重要課題である。安部公房論は、今年中に30論達成するかどうかは、分からないが、楽しみでやっているので、苦痛などはない。安部公房が、しかし、どれだけ偉大だったかは、安部公房全集を読んでみて、はっきりと理解出来たことである。既出の13論を読んで頂ければわかると思うが、安部公房の作品が一風変わっているのに対して、評論やエッセイなどでは、安部公房は非常にまともで、理路整然としたものを書いていることが、大きな驚きであった。安部公房は常識人であって、敢えて、一風変わった小説を書いているということ、これは間違いないと思われる。勿論、満州での体験も大きな文学的財産だろうし、『壁』で芥川賞を取った事、ノーベル文学賞まであと一歩だったことなど、安部公房のすごさ、というものは、現代的に見て、大きな日本文学史における奇跡の存在だったと言えよう。
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安部公房論ー新潮2024/3、における、特集「安部公房生誕100年」の記録ー、ということで、少し寄り道をしてしまったが、ともかく、2024/2/7、時点で、安部公房の特集が組まれたことは、大きな事態だった。時代の狭間を生きて居る感覚に陥った。そして、安部公房全集も買って、非常に充実して居る日々である。安部公房に、感謝したい。ここで、安部公房論ー新潮2024/3、における、特集「安部公房生誕100年」の記録ー、を終えようと思う。