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対人関係はバランスなのか

患者会で、こんな方がいた。

初参加の方で
見るからに悩んでいそうな表情だ。
哀しげな目をしていた。
儚げで、心の奥に沁み込んでくる瞳。

それでもわざわざ足を運んで
参加された事にエールを送りたい。

その方が以前入院していた病院で
同病室の患者同士。
たまたま同じ病名のがん患者として
出会った人がいたそうだ。
当時はお互い励まし合いながら
完治を目指していた。

退院してからもメールで状況を
確認し合いながらお互いに頑張ってきた。

何より、希少性の高いがんだったので
同じ病気を抱えているだけで
心強かったそうだ。
頑張り甲斐があった。
ちなみに乳がんではない。

その方は手術はしなかったが
退院してからの治療の方がとても辛かった。

抗がん剤においては
副作用はほとんどなかったが、
免疫療法が想像以上に苦しかったと。
「出産の痛みなんてレベルじゃなかった」と。

そんな長い治療期間を経て、
回復の一途を遂げた。
今ではがんを患っていた事を
忘れるほどピンピンしてる。

ところが、同じ病を患っている
もう1人の患者さん
(ここでは同士と呼ぶ)の
経過が思わしくない。
病状は悪くなる一方で、
遂に余命宣告までされてしまった。
もう、長くはない。

自分は病を克服した側で
同士は余命宣告までされた側だ。
生死の明暗を残酷にも無情にも
くっきり分けられてしまった。

最初はメールで励まし続けてきたが
聞くのもどんどん辛くなってきたと。
かと言って突き放すのも身勝手だ。

どうしたら良いのかわからないと
神妙な顔で、そして哀しい目で
ひとつひとつ言葉を選んで話した。

Aさん
「私にはどうする事もできないのであなたの話を聞くのももう限界です、と正直に言えばどうですか?」と言っていた。
(😭そ、それは余りにも冷酷じゃないか)

Bさん
「病気の話はしないで普通に世間話だけにすればどうですか?」と。
(😕それに触れないのもなんだかなぁ)

私は何も相談に答えられなかった。
こんな時、どうすれば良いのだろう?
きっと答えなんかない。

もし私が“余命宣告〟された側なら、
同士が回復した側とは言え、
唯一の同じ病の患者として
貴重な存在の人に寄り添ってもらえないのは
哀しく孤独感を増長する。
ただでさえ絶望しているのに、だ。

でも、愚痴や辛さを延々と
聞く側の気持ちもわからないでもない。
「こんなこと言ったら薄情だと思われそうですが気持ちが滅入るんです」と。
でもそれも本音だろうな😢

何も答えが出なかった患者会だった。


人生においても同じ状況はよくある。

人と人の関係はバランスなのかもしれない。

不妊治療も然りで、
「一緒にがんばろう」と
励まし合いながら辛い治療を頑張る同士。
しかし、どちらかが先に妊娠したら
その関係はたちまち崩れるのが現実だ。
心から喜んであげたいが、
そうできない自分に
嫌悪感さえ覚えてしまう。

仕事も同様で
お互い独立したばかりの頃は
同じ志を持つ者同士。
お互いの存在はありがたく
励まし合いながら頑張ってこれた。
しかし、どちらか一方が成功したり
その逆に落ちぶれたりすれば
その関係はギクシャクしてくる。

姉妹においても、よく聞くのが
配偶者の経済的なステータス。
事業で成功したエリートか
一流企業に勤める高収入の夫か
無職か貧乏か
冴えないサラリーマンか。
どちらかが見下してくるのも仕方ない。

同じように努力してきたのに、、
運の良し悪し、妬み、嫉妬と絶望
これが正直なところかもしれない。

同じ時期にスタートを切っても
何が起こるかわからないのが人生。
お互いの絆を割く、亀裂が入る
出来事は必ずあると思っている。

その中でも“生死〟に関わることは
最も辛い出来事だ。

いかなる事があっても
お互いを思いやりたいが
バランスが崩れた時
その関係性を持続できないのが世の常だ
初めから覚悟しておくのも
良いのかもしれない。

人生とは、なんて残酷なのだろう。

それでも、寄り添ってくれる人がいるのと
いないのとでは雲泥の差だ。
マラソンに例えると
沿道からの声援は力に変えてくれる。

これらを想定して
これから自分なりに考えてみようと思う。

“患者会〟は様々な
状況、境遇、悩みを持つ方々が来る。
参加できるだけまだマシだ。
自分で歩いて来れるのだから🚶

参加できない人もいる。
参加したくない人もいるだろう。

自分だけの胸の中に抱えているのは
限界がある。
家族がいても分かり合えない
共有できないものもある。

たまには“ガス抜き〟のつもりで
参加するのも良いものだ。

病について深く討論する会ではない。
宗教や個人の価値観や
その方が選択した治療法について
尊重するのが基本。
あれこれ言わないのがルールなので
とても気が楽だ。

始終、笑って騒いで
世間話に終わる時もある。
それで良いのだ。

“傷の舐め合い〟でも構わない。

同士、仲間の存在はかけがえのないもの。
人と分かち合う事がとても尊く
ある意味、気分転換になるので
気が向いたら参加してほしいと思う。

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