見出し画像

滋賀県の男鬼入谷城に行ってきました(お城散策編)

前から行きたかった霊仙山系に築かれた謎の城・滋賀県の男鬼入谷城に行ってきました。男鬼入谷城は、2000年〜に発見された彦根の山間部にあるお城で、歴史は一切不明だけど、浅井氏との抗争で山間部に入って抵抗を続けた京極高広が築いたのでは?という説があります。
(アクセス編)の続き(お城散策編)になります。
比婆山頂から東へ降り、堀切とトラロープがある切岸が見えてきたら城域です。

このお城は案内板などはなく、木の城趾プレートが主郭とされる曲輪にあるのみです。
(近畿の名城を歩く)の本の縄張り図に少し記入してド素人なりのレポートしたいと思います。

(近畿の名城を行く)にちょっと加筆。

尾根上の大きい郭は西郭、山頂郭、主郭の三つでその間に段や堀切があったりして小さい郭かいくつか挟まっています。
それぞれの三つの大きい郭には南に尾根が派生しているのでそこにも郭や堀切がある、という感じです。

比婆神社から城域に入ったはじめの西郭。
西側に土塁があります。南側法面には石積みと二段の段郭があり、二重の堀切の内側にも石積みがあります。

広々、西側に土塁のある西郭。


南側は段郭の先に二重堀切


堀切の内側に石積み

山頂部郭西手前に大きな堀切があります。
山頂部郭も南側に三段の段郭、二重堀切があります。

山頂郭手前の堀切。山形食パンの上を歩いてるみたい。


山頂郭から南に派生する尾根先も二重堀切で断ち切ってる。

主郭は北東に石積みも見られる櫓台跡があります。その東側に三重堀切や竪堀が連続してあるエリアがあります。
この辺りはこのお城の見所なのですが(倒木が酷くて、遺構がずっと維持できるのかなあ)と心配になりました。

主郭櫓台前に城趾プレート。石積みもあります。


主郭北東の三重堀切。素晴らしいけど、倒木で遺構、この先大丈夫かなあ。


主郭北切岸は石積みがあったみたい。


主郭東、なかなかカッコ良い竪堀

主郭南側の曲輪を経ると畝状竪堀群が縄張り図に派手に描かれているエリアがありますが、実際は薄い畝状竪堀群でした。

薄いけど畝状竪堀群。


やっぱり尾根先は二重堀切。

書籍に
(見渡す限り山々しか見えない)とありますが、調査があった頃から伐採があったのか、主郭からは南西面で開けている場所があり、観音寺城の城山や三上山などまでよく見えました。

結構ちゃんと南西の眺望がある〜
見えるんかい!


これは
(京極氏?かはっきりしないけどココのお城の城主さんは、六角氏とか浅井氏とか湖南地方の動向を探ることができたはずやな)と思えます。
こんな山奥で、全く眺望もないなら(何の城なんやろー?隠遁とか修行?)と思っていましたが、結構眺望があったので、(機会を窺いつつの潜伏城)だったのかなー?と思いました。
堀切や横堀、竪堀、一部石積みはあるけど、虎口はどこもシンプルなので、戦国末期の発達した縄張りとまでは言えないかなー?
全体的には京極氏の八講師城に似ていて、シンプル鎌刃城というような雰囲気でした。

でも、とにかくすごい山奥、すごい土木量な大きな山城でびっくりしました。短期間で築城するのは無理だから、隠れ城として存在してたものをアップデートしてたのかな‥、とおもいます。
隅々まで見て回ったら、結構時間が経過していたけれど、大満足でした。

普通に山肌が高石垣みたいにゴロゴロしている霊仙山系。ステキです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?