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雨上がりの関〜郡上散策(郡上八幡城編)

先週は小雨の中、岐阜県関市のアジサイ街道を通りつつ田口城、郡上八幡城に行ってきました。
前編のモネの池編の続き、郡上八幡城編です。

モミジで有名な郡上八幡城。燃えるような紅葉の(炎上郡上)に憧れて、以前秋に訪問しています。キレイな水路のある城下町もステキで心に残りました。

赤谷山城からの炎上しかけ郡上八幡城。以前行ったもの。


でもその後に訪れた近くの(赤谷山城)が険しすぎて、半分はそっちの記憶になっています😅

険しいけどワイルドな石垣の残る赤谷山城。以前行ったもの。


1559年
はじめに、郡上領主である東常慶と遠藤盛数との間で(赤谷山城の戦い)という郡上支配をめぐる戦いが起こります。
その際に盛数が構えた陣の場所が郡上八幡城の元になっています。

盛数の子慶隆が郡上を統一し、城や城下町をつくりました。信長や秀吉に従って各地を転戦しましたが、賤ヶ岳合戦で柴田勝家側についた為、領地移転させられます。

1588年
慶隆に代わって領主となったのが、斎藤道三や織田信長に仕え活躍した稲葉一鉄の子、稲葉貞道です。貞道は、高い石垣の整備などを行いました。

1600年
八幡城をめぐって、遠藤慶隆・金森可重連合軍(東軍)と稲葉貞通軍(西軍途中からは東軍😅)との間で合戦が起こりました。この合戦が、関ヶ原の戦いの前哨戦の一つ(八幡城の戦い)です。
最終的に関ヶ原の戦いで、家康に味方した東軍が勝利し、慶隆は八幡城奪還に成功、八幡城主に復帰しました。

江戸幕府郡上八幡城5代目城主まで遠藤氏が続きますが、その後、井上氏・金森氏と続き、宝暦年間に起こった農民による(郡上一揆)により、金森氏は改易となってしまいます。
金森氏の改易後、青山氏が7代に渡って明治まで100年以上の治世が続きました。

郡上八幡城は去年の耐震補強工事&展示リニューアルしてからは初めて。小雨だけど青もみじと天守のコラボがステキでした。

青もみじ✖️天守もステキやぁ〜


中の展示も↑みたいな歴史がわかりやすくなっています。

わかりやすい展示。勉強になりました。


稲葉期の石垣。


雨に濡れた石垣も良き。

雨が止んで霧が出てきたので、郡上八幡城が見下ろせる峠まで足を伸ばしてみました。
(霧に浮かぶ天守が見れるかも‥)
登るうちに晴れてきて、
(あぁ〜ヤバい😅天空の城じゃなくなってしまう‥)
天空の城とは言わない状態になってしまいましたが、峠から見下ろすお城がすごく美しく、初夏なのになんだか切なく。

うわぁ〜。ステキ💓


望遠のカメラじゃないただのスマホなので写真はダメダメですけど、また郡上八幡城の記憶を更新しました。
背後に視線を感じると、ニホンザルが山側にワラワラいました😅キュンキュンしてたのに💦

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