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高橋紹運激闘の岩屋城、古代山城の大野城などに行ってきました(後編)

急な福岡行きがあって、古代山城の大野城、高橋紹運激闘の地・岩屋城などに寄ってから帰ってきました。
前編では岩屋城を紹介させてもらいました。
それから後編の古代山城、大野城編です。

大野城は、白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に大敗し、また攻めて来るかもしれない‥ということで作られた防衛施設の一つです。
百済の亡命貴族の指揮により、朝鮮半島の技術が活かされている為、朝鮮式山城とも呼ばれているそうです。
関西出身ですが、こうした西国にある古代山城は初めての訪問です💕

県民の森センターにある鳥瞰図。山丸ごと城!

さすが国家プロジェクト、元祖天下普請?ってことで太宰府の北の山を丸ごと要塞にした感じです。1000年以上前というのに石垣も土塁も礎石もしっかり残っていてしかも大規模でびっくりしました。山頂部は尾根に沿って大きく土塁で囲まれ、総延長は8キロにも及びます。北と南はその土塁線も二重になっています。

岩屋城からまた1キロほど林道を進むと、大野城太宰府口門の案内板が出てきます。

まずは林道からドーンと見えてその大きさに驚いた太宰府口城門跡。礎石も残ります。城域には9つもの城門があったとのこと。


太宰府口門脇の水ノ手石垣。鏡石のような岩も組み込まれてる。前の部分はえぐれて堀状になっています。


焼米ヶ原の土塁線。美しいわ😍
土塁の内側のエリアにはたくさんの礎石跡が。


増長天礎石群が見られるエリア。とても整備されています。奥には二重になっている土塁の内側のものが見えます。枯渇しない池の鏡池も付近に。


シダがすごいけれど、見所の百間石垣。


百間石垣。長さが180メートルも。


北石垣。立ち入り禁止エリアで、ロープ内に入れないです。

万葉集などに防人の歌って沢山残っているけど、この広さに、たくさんの防人さん達が集められていたのでしょうか?築城などにもかかわっていたのかな‥
そして、こういう(攻められるかもしれないっていう危機的状況が古代から城郭を発達させてきたんや〜)と妙に納得してしまいました。
いや、でも古代山城、大きかった〜💦
ただ、山を丸ごと要塞にした‥っていうだけあって、マップに載っている見たい遺構を回っていたら時間が足りなかったです。
でも大きさを体感できて、よかった❤️

下山して太宰府でお土産を買おうにももう店が閉まっているし、福岡城にもギリギリ寄ってみたけれど、すぐタイムリミットがきてしまい、門と櫓を眺めただけになってしまいました。

かろうじて見れた福岡城の下之橋御門。
誰もいないし。


お土産を吟味することなく、テキトーに掴むように買って、慌てて帰路につきました〜。
美味しいものも食べれず、食事はコンビニおにぎりばかりになっちゃいました。目一杯堪能したつもりではいるけど、計画不足だ〜💦


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