映画デデデデ観た後書き殴り

原作読んでいない中で見た今作。

今作はなんだかコロナ禍や震災、戦争なんかが想起された。だから、異星人の存在はある意味で異質さはなく、象徴的なものとして日常を侵す「非日常」として認識できた気がする。

コロナ禍では、マスク警察がいたり、不要不急を強いられたり、陰謀論が出たりした。
いろんな情報が渦巻いていて、世の中が不安に陥っていた。

だけどそんな中でも、自分で例えば娯楽や友人、家族などそれぞれの人にとっての大切な存在への尊さが際立ったと思う。

だけど不安に押し潰されたらどうだろうか、
陰謀論を盲信したり、はみ出るものを批判したりなどして自分を保つ人もいたのではないだろうか。

今作を見て一番感じたことは、混沌とした状況の中で自分を保つことが難しいこと。
誰もしもが、自分が何者であるのか確認しながら生きている様な感じで、自分の役割や価値を見出せないと不安に感じてしまうような、何者でもなく暇を持て余すような者が許されないような社会構造じゃないかと思う。

おんたんにとっては、門出は絶対な存在。
おんたんの兄のヒロシにとっておんたんは絶対な存在。

その一方で、小比類巻くんは恐らく元々音楽とか外からの影響を受けやすい人間で、どこか寂しい人で自分が何者か見失っていたんじゃないかと思う。
だからこそ、侵略者への駆逐に明け暮れ自分の価値を見出して、防衛的に自分を保とうとした結果があの愚行だったんじゃないかと思う。

つまりは、クソやばい状況の中で、信頼をおける存在や自分が自分でいられる確固たる存在の尊さが際立つんじゃないかと感じた。

正直小比類巻くんの気持ちも分かる。

仮に、おんたんがシフターにならなければ、自分の意義を見失い、自傷したり、門出をいじめていた友人たちに復讐をする可能性もあったんじゃないかと思う。

そんなことを思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?