貧乏ヒマなし

貧乏ヒマなし。そもそもいつの時代にできた言葉なのか、調べてもよくわからないが、お百姓、大地主、威張ってる殿様などがいた時代だとしたら、この言葉はよくわかる。お百姓さんは働けど働けど搾取されるばかりでずっと貧乏だ、というような。
自分の場合(自営業)に照らして考えると、ヒマであることと貧乏がほぼ比例関係にあるので、このことわざはあまり実感できない。ただ、生産性、作業効率、という観点からみると、お金持ちはそのへんが上手にできているのだろうし、仕事の要領が悪いのが貧乏人ともいえるので、その意味では貧乏ヒマなしは当たっているともいえる。
そういえば、清貧というなんだかよくわからない言葉もある(あった?)「貧乏」であることが善なのか悪なのか、「ヒマなし」はどうか、というところを考えてみる必要もあるかもしれない。
「貧すれば鈍する」が真であるとするならば貧乏は悪である。「小人閑居して不善をなす」が真であるとするならばヒマは悪である。とすれば貧乏でヒマがない状態というのは悪と善(といえるか、、?)が半分ずつ、プラマイゼロ、という結論にも至りうる。
貧乏でヒマなのが一番よくないのか。忙しいお金持ちが一番よいのか、、、
うーん、でもそんなこともなさそうだ。
これらのことわざは人生においてごく一面しか言い当てていない、というのが当座の結論である。
堀江敏幸「河岸忘日抄」で、小人閑居して不善をなす、についての考察があって興味深かった。それに関連してつまらぬことをつらつら考えた。

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