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真田純子氏レクチャー「石積みの風景と、それを支える技術を継承する」

本稿は、2021年9月27日に東京大学建築生産マネジメント寄付講座主催のレクチャーシリーズ「つくるとは、」の第三回「生活文化」における、真田純子氏(東京工業大学准教授)による講演(研究・活動紹介)の内容から構成したものになります。

私は現在、土木・環境工学系というところにいますが、もともとは社会工学科出身で都市計画史や緑地計画史が専門でした。2007年に徳島大学の土木系分野へ勤めてから土木史研究を始め、農村景観や農村の活性化、そして石積みの研究を始めました。

石積みの研究には、大きく二つのテーマがあります。一つは、今日お話する、農地の石積みの技術の継承。もう一つが、「空石積み」というモルタルやコンクリートを使わない石積み技術を公共事業で活用する方法です。どちらも、お城のように見栄えを重視した石積み技術ではなく、実用を目的とした石積みの技術で、その本質とは何かを考えています。

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今日は、農地の石積みの技術の継承のうち、「技術を継承する仕組み」と「継承する技術がどうあるべきか」についてお話しします。「仕組み」のほうは、私たちの立ち上げた一般社団法人石積み学校について。「継承する技術」のほうは、広めるために必要な技術の一般化と、守るべき地域性についてです。一見すると相反していそうな「一般化」と「地域性」が、技術の本質から考えると、実はそんなに相反するものではないという話です。

技術を継承する仕組み──一般社団法人石積み学校

私が石積みに出会ったのは、2007年に徳島大学に着任してから程なくして、ソバまき体験で吉野川市美郷へ行ったときのことでした。何も知らずに行ってみたら、段畑とすごい石積みのある集落だったのです。それから学生向けの石積み合宿をしたりして、石積みを習っていくようになりました。

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実際に石積みを経験してみると、石積みの現状がいろいろと見えてくるようになりました。たとえば、石積みが崩れたまま何年も放置されている場所や、部分的にコンクリートで補修されている場所があること。まだ崩れてないように見えても、いつ崩れてもおかしくないような状況の場所がかなりいっぱいあることも分かってきました。

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2012年から2013年にかけて、当時の徳島大学の修士学生がスクーターで徳島県内の県道と国道をすべて走って、そこから見える棚田、段畑を調査しました。そうして、県内にはまだ空石積みがいっぱい残っていること、そのうち、手入れができておらず草で覆われている石積みや、緩んでいる箇所が修復されていない石積みが結構あることが分かりました。こうした調査から、修復や維持管理のための労働力が足りてないことや、技術の継承ができてないことも見えてきました。

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それで、石積みを教えられる人が「先生」になって、習いたい人が「生徒」になって、直してほしい人の石積みを「教室」にして、この三者をマッチングする「石積み学校」という取り組みを始めました。技術の継承と、修復の労働力不足という問題を同時に解決しようと考えたものです。

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石積み学校を設立するにあたって、「石積みは難しい」というイメージを変えることと、石積み学校の運営を持続させることを目標にしました。石積みというと、お城の石積みを想像してすごく難しそうだと思う人が多いのですが、もともとは農作業の一部ですし、そこらじゅうに石積みの段畑や棚田があるということは、普通の作業だったはずなのです。今は、石積みは難しそうだから業者に、手入れがわからないからコンクリートに、と考えられがちなのですが、そういった考えを変えたいと思っています。

こうした意識改革や、文化の復活・定着には時間がかかるものですので、私が徳島を離れた後も続けられるように、ちゃんと継続できる事業・仕事にする必要があるだろうと考えていました。そのため、運営は補助金に頼らず、また「活動から仕組みに変えていく」ことを考えました。

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農村部での活動はどうしても補助金やボランティアに頼りがちになってしまうのですが、補助金を出す側のさじ加減で活動が終わるようではダメだと思い、補助金に頼らずに運営ができるよう考えました。そのため、参加者には授業料として参加費を払ってもらい、石積み学校の運営がちゃんと仕事になるようにしました。

「活動から仕組みに変える」というのは、特定の地域に通い続け、その地域の問題を解決したり、盛り上げたりするような「活動」ではなく、他の地域にも普及させるための「仕組み」にしていくという意味です。そうしていかないと、たとえば、石積みの段畑や棚田を保全する景観計画を立てても、実際に積める人が各地にいないと実現できないですわけです。また、一つの地域だけだと、石積みをする頻度も上げられず、石積み学校が職業として成立しないという現実的な課題もありました。ですので、いろんな場所で開催し、人と場所を結び付ける仕組みをつくることを、私のやるべきこととして位置付けました。こうしたことの意思表明として、最初の石積み教室は、私が石積みを習った美郷ではなく、三好市という所で開催しました。

今、メインで石積み学校を運営してくれているのは、大学3年生のときに第一回目の石積み学校に参加してくれた人です。石積みを教えたり、修復に行ったり、石積みを一つの職業にするということを人生をかけて挑戦してくれています。長く続けていくことで、そういう人材も育ってきてくれているのかなと思っています。

最初は、三者をマッチングするという自主企画を中心に考えていましたが、いざやってみると、それ以外の依頼が結構来るようになりました。たとえば、地域の団体が「自分のところで受講する人も場所も用意したので、講師として来てくれませんか」とか、自治体が「昔の里道を直したいので来てくれませんか」とか、学生が「大学の研究室で通っている地域に石積みがあって、そこで石積みが問題になっているので石積みを教えてくれませんか」などで、今ではマッチングではないほうが多いです。ボランティアではなく仕事になっているからこそ、こうした依頼もしやすいのかなと思っています。そうして、これまでに131カ所で石積み教室を開催してきました。

先ほど、石積み=難しいというイメージを変えたいということと、石積み学校の運営を持続させることで職業にするという目標を話しましたが、この両立が非常に難しいんですね。技術を高度化したり、囲い込めば高いお金をもらえるわけですが、私たちは環境負荷の少ない循環型の技術を、誰でもできる技術として広めたいので、なかなか価格を吊り上げるということもしたくない。でも私たちは焦らず、今のマーケットに合わせて付加価値を与えるのではなく、自分たちでマーケットを創り出すような考えで活動を続けています。

フランスにも石工集団を束ねるABPSという団体があるのですが、そこの主催の方が「技術を保全するためには、現場の確保が必要だ」と話していました。そのためフランスでは、公共事業で石積みを使えるようにしていて、石積みの市場を拡大しようとしています。私も、農地の石積みを公共事業に使えるようにすることで、技術そのものを保っていこうということも考えています。

継承する技術──手間を掛けない農地の技術

これまでに、石積みの技術が、高齢化や過疎化によってどんどん減っているっていうことが分かりました。石積みの技術は基本的に地域内で伝承されてきましたが、もう今くらい過疎化が進んでいると、なかなか地域内だけで技術を継承していくのは難しい。そのため、これからは縦から横に、つまり今まで地域内で縦につながれていた技術というのを、いろいろな地域がつながって横にも広げながら継承をしていく必要があるのではないかということを考えました。

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そのようにネットワークをつくって複数の集落をつないだり、広い地域で石積みの技術を考えるにあたって、地域ごとの石積みの違いを石工さんにヒアリングしていきました。石質、採ってくる場所、加工の仕方、維持管理の方法などです。その結果、基本的な技術は共通していて、山石で習えば県内どこでも積み直しができるというようなことを分かり、技術の一般化ができるんだと思いました。今現在、石積み学校が、一つの技術で全国で活動できているのも、石が違っていても、いろんな所で技術が使えるということを示していると思います。

石積みをいろいろやっていくうちに、石積みとは、道具の作り方や使い方、体の動かし方や休憩のとり方といったさまざまな知恵が入っている、一つの文化体系であると思うようになりました。それで、習ったことをすべて記録に残したいと考え、2014年に冊子を、2018年に『図解 誰でもできる石積み入門』という本を出しました。同時期にフランスやイタリアでも、石積み技術の書籍が出版されていて、こういう技術をちゃんと言葉に残すというのは近年の傾向なのかなと思います。

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ちなみに、こうした記録を残す方法には、建築史や文化人類学のように聞き書きなどを基に、地域のことを丁寧に記述していく方法と、本書のようにマニュアル化する方法の2通りがあると思います。前者においては正確性が求められますが、後者においては正確性より分かりやすさが重要だと考えています。これは、書籍に掲載している私が描いた石積みの断面図なのですが、実際にはこういう断面は存在しません。ですが、どういうふうに石をかみ合わせるかを示すには、あり得ない断面図を描いたほうが分かりやすいと思い、こういう描き方をしています。

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この石積みというのは、あくまで農作業のひとつであり、無駄な労力を掛けずに仕上げることがとても大切なんですね。生活が楽になるという大目的のもと、費用対効果とともに労力の配分が行われているといえます。こうした工夫は、たとえば、材料の調達・加工に表れています。材料は近場から調達し、それらをなるべくそのまま積むことで、運搬や加工の手間を省いています。日本の農地でよく見られる乱積みは、そうした地域性を反映する形で発展した技術だと言えると思います。

イタリアのオッソラという地域では、層状にミネラルが入っている、平たいブロック状の石がたくさん採れるため、それに応じた技術が発展していました。たまに出てくる丸っこい石も以前は使われていたようですが、今はそれを積めるひとはほとんどいないようです。以前、学生と行って修復したとき、そういう丸っこい石がいくつも出てきたので、一部を日本の技術で積みました。この地域を研究しているトリノ工科大のアンドレア・ボッコ先生が、こうした積み方の違いを見て、「石が技術を選ぶ」と言いました。同じイタリアでも、アマルフィは石灰質の丸い石が採れる地域なので、日本の石積みに近い石積みをしていたり、チンクエ・テッレは割れると棒状になるような石が採れる地域なので、大きい石の周りに棒状の石を並べていく積み方をしていたりしています。手間を掛けないという農地ならではの本質を守ると、石に合わせて技術を選ぶ必要があるので、おのずと石積みに地域性が表れてくるということだと思います。

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近年、ヨーロッパでは石積みの保全が盛んになってきていて、農地の石積みを職業的にやる人が出てきています。そうすると緻密にという意味での「きれいに」積む方向に技術が変化していくことがあるのですが、それは少し違うと私は思っています。いかに生活を楽にするかというのが農村の技術の進化の方向性であり、石の調達量、無駄な動線が生まれないようなものの置き方、迷いなく石を積む技術が磨かれることが本来だと考えています。石積みが、家族の仕事か職人の仕事かという違いが、こうした進化の違いを生むのだと思います。


農地の技術の本質を伝えていくために


石積み技術の継承のためにはマーケットを形成していく必要がある一方で、そうすることで技術が変質してしまう可能性があることがわかりました。農村の技術というものは、本当に微妙なところで成立していて、ちゃんと意識しとかないとなくなってしまうと。そのため、技術の価値の概念を整理し、農地の技術の固有の尺度があることを共有していく必要があると考えています。

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文化を残すかどうかは社会が決めることです。石積み学校で教えているような家族の仕事としての石積み文化は、すべて職人の仕事になればいいとなるかもしれません。でも、まったく知らないうちになくなってしまうのと、ちゃんとその技術の本質を理解したうえで、判断されるのとでは、意味が違ってくると思います。そういった考えのもと、私たちは、農地の技術がどういうものなのか、ちゃんと発信していきたいと思っています。

構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス