東京卸売りセンター建方平面計画図

日本の高層建築における施工技術の変遷第1回 工程計画管理

「建築士」(日本建築士会連合会の会誌)の2018年12月号から2019年4月号に連載した「日本の高層建築における施工技術の変遷(全5回)」を転載します。図版・記述等で記事と異なる場合があります。画像の使用等問題のある場合はご連絡ください。

霞が関ビルディングから50年

先月号(建築士2018年11月号)で紹介したとおり、日本初の超高層建築・霞が関ビルディング(1968年、高さ147m)が竣工して今年で50年になる。登録文化財の対象が原則建設後50年とされるように、半世紀も経てば日本の高層建築も歴史の対象となりうる。高層建築を見る視点は意匠、構造、設備と様々に定められるだろうが、今回は高層建築がどのようにつくられてきたかという施工の面から、日本における高層建築施工の変遷を5回にわたって振り返ってみたい。その第1回は工程計画・管理を取り上げる。

工期短縮の要請

事業規模が大きく事業費の回収を急ぎたい高層建築の施工において、工期短縮は常に大きなテーマである。建築基準法改正後、初の100尺(31m)を超える高層建築であるホテル・ニューオータニ本館(1964年、高さ72m)は東京オリンピックに間に合わせるため、延床面積10.2万㎡を17ヶ月という短工期で施工され、ユニットバス開発をはじめとする多くの工夫がなされた。その着工は100尺制限撤廃の建築基準法改正前になされており、国会の審議案を見ながら設計は行われ、改正後に変更届を出すことで建設した。

高層建築ではないが、戦前の丸の内ビルヂング(1923年、延床60,451㎡)建設において、米国フラー社が施工を担ったのも主に工期短縮が目的である。丸の内ビルヂングと同じく丸の内に建設された東京海上ビルディング(1918年、延床17,680㎡)では、工期が4年半かかり、単純計算で床面積を4倍とすると、丸の内ビルヂングは施工に18年かかってしまう。この危機感がフラー社からの技術導入を促し、実費生産報酬加算方式(コストプラスフィー方式)により契約した。丸の内ビルヂングは工期22ヶ月の予定で着工し、途中関東大震災の被災や補強があったため31ヶ月で竣工したが、実際の施工期間はほぼ予定通りであったとされる。工期短縮のためにスチームエンジンによる杭打ち機、運搬用トレーラー、ガイデリック、リベットガンといった多くの機械が導入され効果をあげた。しかし、関東大震災によって鉄骨が曲がる、あるいは煉瓦に亀裂が入るといった被害が出たため、施工はフラー社から大林組に変更になっている。

丸の内ビルヂングの施工・吊り足場(「丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史」上巻より転載)

連続繰り返し

このように工期短縮の要請は新技術の開発や新たな施工体制導入を促してきた。霞が関ビルディングでは、多くの新技術の開発・導入に加えて、鹿島建設・三井建設JVの所長・二階盛を中心として徹底的な工程計画・工程管理がなされた。膨大な量の材料・職人をコントロールするマネジメントの重要性が増したと言える。二階はこの成果を博士論文(早稲田大学)にまとめており、霞が関ビルディングに関する施工のデータは他に例をみないほど詳細に公開されている。

二階による霞が関ビルディング施工の要点は「連続繰り返し」に尽きる。これはその後の多くの高層建築に通じるものである。高層建築は基準階を繰り返し施工する。さらに、高層建築は周囲に空地をとる場合が多く、高層部は比較的成形の場合が多い。そのため、基準階を繰り返し施工するだけでなく、基準階の中でも多くの繰り返しが見られる。この繰り返す作業の時間を短くし、さらに同期化させれば多くの職種が最大限に能力を発揮することができる。二階の言葉を借りれば、「『工期を決定する各部分工事(基幹工事)の、各階における諸作業所用日数を一定にし、これを基準周期として、下階より上階へと各工事作業を追従せしめ、作業相互のバランスを保たせながら、連続的に繰返しつつ作業を行なう工程計画手法』を『連続繰り返し方式』」(超高層建築 施工編、p.55より)と名づけた。

具体的に言えば、霞が関ビルディングでは基準階を6日/階で施工することに決めた。鉄骨、デッキプレート、床コンクリート打設、配線等を同じペースで施工していけば、各工事の施工能力に無駄が出ない。例えばデッキプレートに7日かかれば鉄骨だけ上へ上へと工事は進んでしまうが、その下にはデッキプレートのない階が残っていく。デッキプレートが5日ですんでも、鉄骨が終わっていなければデッキプレートの職人は6日に1日休まなければならず、収入が減るので工事を嫌がるだろう。こうした複数工事間の同期化も遅い工事に合わせたのでは全体の工期が遅れてしまう。そのため霞が関ビルディングでは、3.2m間隔で並ぶ鉄骨柱のブラケットを延ばして小梁を省略する(下写真)、デッキプレートの配筋を1方向にするなどの工期短縮も多くの工事で進められている。

キの字の鉄骨(霞が関ビルディング50年記念誌より転載、三井不動産蔵)

別の見方をすれば、次の工事が先行する工事を追いかけるように高層建築の工事は進んでいく。一部の工事だけが進んだり、工事がまだ始められないのに大量の資材が現場に届いたりといったことはなるべく避けたい。下図はエンパイアステートビルの鉄骨の施工計画である。下から上に階が並び、左から右に月が書いてある。折れ線は左から設計(information required)、発注(mill orders)、詳細(details)、搬入(delivery)、建方(erection)である。建設地はマンハッタン島の中心部であり、敷地内で資材を置ける場所は限られ搬入された鉄骨はすぐに組み立てられる必要があった。また、施工と詳細設計が並行して進められている(fast-track)ことも分かる。

エンパイアステートビルの鉄骨施工計画(Carol Willis “Building the empire state”, W. W. Norton & Company, 1998より転載)

エンパイアステートビルの基礎部の鉄骨は1930年4月7日に据え付けられ、最上階階の鉄骨は同年9月20日に取り付けが完了している。また写真からは鉄骨工事の数階下では外装工事が始まっていることが分かる。このように短い工期で高層の建築を施工するには、上階に向かって工事が次々に同じペースで進み資材や職人も必要な時に必要な量が現場に来る必要があり、そのための高度な管理方法が要求される。このように基準となる作業時間に沿った工程計画を現在はタクト工程と呼ぶ。

エンパイアステートビルの施工(Carol Willis “Building the empire state”, W. W. Norton & Company, 1998より転載)

PERT

こうした同期化に加えて、霞が関ビルディングで脚光を浴びたのはPERT(Program Evaluation and Review Technique)と呼ばれる工程計画手法である。PERTあるいはネットワーク工程表がいつから日本の建築施工に用いられたのか不明であるが、いつ開発されたのかは分かる。冷戦時のアメリカである。1957年にソ連が世界初の人工衛星・スプートニク1号を打ち上げると、西側諸国に衝撃が走った。スプートニクショックとも言われるこの事件により、それまで宇宙開発やミサイル開発でソ連より優位に立つと考えていたアメリカはこうしたミサイルやロケットの開発スピードを格段に加速する必要に迫られた。しかし、膨大な工程の何から手をつけるか、どこを集中的に管理すればよいかが分からない。それを論理的に解き明かしたのがPERTであり、現在よく目にするネットワーク工程表である。これによって全体工期の遅延につながるクリティカルパスやある作業の余裕期間を表すフロートを論理的に導くことができる。
ネットワーク工程表を使った霞が関ビルディング基準階工程表(下図)の下には棒グラフが見える。これは山積みといって、各日に何人の作業員が働いているかを示したものである。

霞が関ビルディング基準階工程表(霞が関ビルディング50年記念誌より転載、三井不動産蔵)

これによって作業員が集中する日が分かれば、ネットワーク工程表を使ってフロートのある作業を後にずらし作業員数を平準化するといった工夫(山崩し)も可能になる。霞が関ビルディングでは作業単位の数は合計で2500に及び、それを大型電子計算機を使ってネットワーク工程表に組み上げ、さらにこの全体工程表を作成後に山崩し(下図)を行っている。このような綿密な工程計画によって、高層部鉄骨建方開始からの延作業人数455,000人、平均作業人員数885人/日という当時としては膨大な人数をコントロールした 。

霞が関ビルディングの山崩しの表、おおむね1000人/日以下に人員が抑えられている。極端に人員が集中する日がない。(霞が関ビルディング50年記念誌より転載、三井不動産蔵)

積層工法

同期化にせよ、山崩しにせよ、各工事の工期や資材・人員の平準化は重要なテーマである。霞が関ビルディングにおいても鉄骨は3層1節であり、他の工程も作業単位にはばらつきがある。これに対し、躯体、外装、内装、設備を1層毎に完結させていく工法として積層工法がある。積層工法の初期の事例として、東京卸売センター(1970年、高さ45mも延床面積17.5万㎡で当時容積率は日本最大)がある。ここでは可能な限りSRC造の柱、梁や床、壁のパネルをプレキャスト化し、設備や仕上げもできるだけこのパネルに取り付けた。これにより躯体を施工した後すぐに後続工事が始められるようにしている。建方平面計画図を見れば、16分割された平面にそって各作業が書かれている。そして、この作業は1日で完結し、次の作業場所に順番に移っていけばよい。これによって、各職種は床と外壁が取り付いた安全な現場で毎日同じ仕事を同じ量完成していけばよいことになり、同期化に習熟効果も相まって施工の効率は格段に上がる。尚、下に名前をあげた竹波はホテルニューオータニの現場所長である。

東京卸売りセンター建て方平面計画図(竹波正洪、東京卸売センターの設計と施工、コンクリートジャーナル、1970年9月より転載)

1層ずつ作業を完結させていく積層工法は、東京卸売センターと同じく大成建設設計施工のホテルニューオータニタワー(1974年、高さ123m)でも用いられた。ホテルニューオータニタワーは鉄骨造であるがPC床版を用いて鉄骨工事後すぐに敷くことで後続工事が始められ、3翼に分かれた平面を順番に施工する方式がとられた。また鉄骨工事は2層1節とし、霞が関ビルディングに似たキの字の鉄骨が使われたが、隣り合う柱の施工を上下階で交互に1階分ずらして行うことにより、溶接、ボルト締めなど鉄骨工事量の平準化や、建方時の精度・安定性の確保(3点支持)を実現している。

ニューオータニタワーの施工(鉄骨が1本おきに並んでいる。中央がPCaのユニットバス、右がPCaのカーテンウォール、「建築生産の技術」梅村魁編、丸善より転載)

多工区同期化工法

このような工程管理手法は徐々に高度化・高速化した。鉄筋コンクリート造高層マンション(プレキャストコンクリート含む)について見ると、1階あたりの工期は大幅に短縮している。これは躯体のプレキャストコンクリート化の影響も大きいが、鉄骨と比べ職種の種類・人数が多いRC造であっても、工区分割等を工夫することにより工程計画の高度化が可能であることを示している。代表例としてDOC工法(MOS-DOCなどいくつかの派生形)の工程表を下に示す。DOCとはone Day One Cycleの略で1日を単位として同じ作業を繰り返していく。図は縦に4段に分割されているが、右から3列が労務量等に基づき分割された3工区である。縦軸は職種、さらに同じ職種の中で分割されているのが1人1人の職人の作業内容である。4段の内残った左端は、右の3工区を足し合わせた全工区であり、これを見ると、各職人(クレーンとも)は工区間を移動しながらほとんど休み無く、作業をしていることが分かる。こうした高度な工程計画を実現するには労務に加えて、必要な資材を必要なタイミングで必要な場所に運ぶジャストインタイムのSCM(supply chain management)が必須であることは容易に想像できるだろう。

DOC工程表(藤本隆宏ほか、建築ものづくり論、有斐閣、2015年、p.270より転載)

尚、このような工夫により、高層集合住宅施工では、基準階面積にもよるが1フロアあたりの躯体施工日数が5日、4日、3日と短縮していった。そして霞が関ビルディングを施工した鹿島建設について言えば、「ローレルスクエア都島」(2001年、高さ100m)では躯体サイクル工程2日/階を達成するのであるが「あまりにも躯体工事スピードが速すぎ、後続の設備・仕上工事が追い付けず、躯体設備仕上が一体となった合理的な施工法とはいえないという笑えない現実に直面」(荻原行正、RC造超高層建築の躯体構築技術の45年の変遷、建築技術2015年5月号)するのである。再度、二階の言葉に戻れば「作業相互のバランスを保たせながら」が重要と言えよう。

参考文献

三浦忠夫、「日本の建築生産」、彰国社、1977年

かのう書房編、「丸ビルの世界」、かのう書房、1985年

「建築業協会賞50年 受賞作品を通して見る建築1960―2009」新建築2009年12月臨時増刊、2009年

権藤智之、「構法」、霞が関ビルディング、霞が関ビルディング50周年記念誌編集委員会,三井不動産株式会社発行,pp.248-285,2018年