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ファンにできることは布教だけ

開始8分50秒で宇垣さんが言った「ファンにできることって布教する事だけ」という言葉が自分の中でじわじわ芽吹いている。

やれクリエイティブだの自分で作るだの言われている現世では成果物が全てだ。イラスト、音楽、料理、プログラム等々、低コストでものづくりができるようになった今、誰でも創造主になれる。創造主となって生計を立てること=「好きなことで生きていく」なんてものがブームになりつつある。人類総クリエイター時代でもきているのだろうか。

でも、私は創造主になることが心地いいと思えなかった。自分が好きなのは美術館で展示構成に「今・ここで開催する意義」を見出せた時、世界を少しずつ良くしていく大人の存在を知った時、推しの推しどころを自分の中で言語化できた時だったから、自給自足生活にも神様業にもそこまで興味が持てなかった。

先日別のpodcastでもハッとしたのだけど、ソクラテスの考え方って、プラトンに書き起こしてもらえなかったらもっと前に消えてたんじゃないかなって思った。
昨今流行ってるコーチングなんて、問答法が残ってなかったらどうなってたのかなとか気になっちゃうし。

そういえば、孔子も親鸞も他の人が書き起こしたから教えが残ってるし、キリスト教も信者の布教活動あってこそ主要な宗教になったんだよな。

宇垣さんの言葉で自分の好みと前述の偉人書き起こし問題が繋がったら、
「あー自分は布教活動を楽しめばいいのか」ってなんかスッキリした。成果物って必ずしも1を作ることじゃないんだ、1を2にすることも含まれるんだ、って思ったら人類総クリエイター時代にモヤらなくていいかもしれない。

作ることが好きな創造主各位には創作に専念いただいて、自分は翻訳者とか『映像研には手を出すな!』の金森ちゃんみたいなポジションを楽しめたらいいな。それに必要な読解力と伝える力、ちょっとずつ伸ばしていきたい。
んでもって布教活動楽しむぞー!


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