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【ラジオが好きでんねや】(9)KBS京都

「はいぱぁナイト」でもよくハガキを書きました。
ハガキだけでなく、前述の通りテープも送ったりしました。
京都ローカルの番組ということで、そこそこの採用率でした。

この番組は、イベントが多かったのもひとつの特徴でした。

この番組は東京での収録であった為、京都のリスナーとの距離を埋めたいという想いがあったようです。

年に1回、バスツアーが組まれました。これがも~むちゃくちゃ楽しかった。

前項でも書きましたが、浜名湖へ泊りで行き、ジャガー横田さんに4の字固めをかけてもらったり(笑)

徳島に行って、杉原徹さんやリスナーのみんなと阿波踊りに参加しました。
汗だくになって踊った後、みんなで銭湯に行って・・・本当に楽しかった。

東京ディスニーランドにも行きました。で、アトラクションを楽しんだのかというと・・・

ここで企画がありまして、
番組ディレクターが変装して園内に紛れているので探し出そう!というもので(笑)

普通客が行かないようなフェンス際とか、ディスニーランドの隅々まで見て回りました。なかなか出来ない体験だったと思います。

京都烏丸のKBS京都本社には「KBSホール」というホールが併設されていて、ここでもよくイベントが開かれました。

ある時には、田原音彦さんの旗振りで「リスナーでバンドを作ろう!」というのがあり、僕もベースギターを持って行って参加しました。

またある時にはリスナーの一人が「差し入れです」と言って、マクドナルドのハンバーガーを100個持ってきて(笑)みんなで食べたこともありました。

人生で100個のハンバーガーを見たのはこの時だけです。

もう一つ、この番組の特徴としては、
月曜日~金曜日の各パーソナリティ同士の横の繋がりが強かったということです。

声優さんやミュージシャ、芸人さん、はたまたプロレスラーまで、様々なジャンルからパーソナリティが集まり、各パーソナリティにそれぞれファンがついていたわけですが、この番組によりそれがシャッフルされ、帯全体が盛り上がることとなったのです。

音彦さんのファンだったEちゃんが女子プロレスにハマっちゃった、なんてこともありました。

この番組のおかげで本当に沢山友達が増えました。
たくさんのリスナーはもちろん、ディレクター、ADさん、プロデューサー、そしてKBS本社ラジオマスター、営業さんに至るまで、番組に関わる色んな人と顔なじみになりました。

最近、プロデューサーだったHさんとFacebookで再会し、また交流が始まったのですが、残念なことに2016年にお亡くなりになられてしまいました。

本社ラジオマスターのFさんは今でも年賀状を下さいます。ある時「サウンドフェスタ」という音響機器の展示会でバッタリ再会したりもしました。

90年代中頃、このKBS京都を激震が襲いました。
「イトマン事件」です。


この事件により、KBS京都は社屋や放送機材が競売にかけられ、廃局に追い込まれそうになりました。

Fさんからの依頼により、京都河原町の交差点で「KBS存続」を訴える街宣活動に協力し、マイクを持ってスピーチしたりもしました。

結果、KBS京都は会社更生法の申請という手段でこの危機を乗り切り、廃局はまぬがれました。

しかしこの為、運営方針の見直しが行われ、経費か高かったこの「はいぱぁナイト」は終了することになりました。

最後の放送は杉原徹さんの火曜日で、この時は京都本社からの放送でした。

その最後の生放送の時、誰が言い出したでもなく、リスナーのみんなが本社前に集まり、そこで最後の放送を聴きました。

杉原徹さんが最後、涙声で話していたのが印象的でした。

もしもこの番組が無かったら、

僕の今のような人脈はまず無かったし、こうして今もラジオに関わっていることも無かっただろうし、確実に僕の人生は違ったものになっていたでしょう。

本当にこの番組と出会えて良かったと思っています。

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