【ラジオが好きでんねや】(12)エージ&テツのアメリカザリガニ
「KBS京都はいぱぁナイト」の終了と前後して、杉原徹さんは、高田エージさんと「エージ&テツ」というユニットを結成していました。
「てつ100%」というバンドのメインヴォーカルだった杉原徹さん、「SUPER BAD」というバンドのメインヴォーカルだった高田エージさん。
大人気バンドのフロントマンだった2人は、それぞれバンドが活動を休止し、自らギターを持ってソロ活動を始める。という、似た境遇の2人でした。
そんな2人がスタートした番組が「エージ&テツのアメリカザリガニ」でした。
現在でも必ず観に行くエージ&テツのライブ。もうとにかくゴキゲン!グイグイ盛り上げていくタイプの楽しいライブなのですが、「アメリカザリガニ」はそのライブのノリをそのまんま持ってきた感じの楽しい番組でした。
「はいぱぁナイト」終了後、行き場を無くしたリスナー達の憩いの場でもありました。
当時、僕が勝手に番組のファンサイトを立ち上げたところ、なんと番組内でアドレスを紹介して下さったりもしました。
1995年1月17日。
その日のエージ&テツのスケジュールは、京都のライブハウス「磔磔」でライブを行い、その後、KBS本社から「アメリカザリガニ」の生放送でした。
しかしその朝、関西を襲った「阪神大震災」
当然ライブは中止になるものと思われました。
しかし、関西圏の交通がマヒする中、近鉄がかろうじて動いていることを知った僕は、京都に向かいました。
ライブはきっと無い。帰りの電車も動かないかも知れない。
でも、リスナー友達のみんなの顔が見たかった。
みんな無事だろうか?無事だったらみんなここに来るはず。みんなの情報が欲しい。その思いで磔磔へ向かいました。
やはり、たくさんのリスナー友達が集まっていました。
と、そこへ、エージ&テツの2人もやってきました。
「来たんですか?!」と、磔磔のスタッフさんも驚いていました。
幸い舞台設備には影響はなく、ライブは出来る。ということで、開催されることになりました。
ライブは当初の選曲を変更し、しっとりと歌い上げる内容となりました。それはまるで祈りのようにも聞こえました。
そして「アメリカザリガニ」の生放送。各局が特別報道番組を流す中、この番組は予定通り放送されました。
「オレたちには、歌うことしか出来ないから。」
この日の放送はトークを極力抑え、生歌をたくさん歌っていました。
実際、この日の放送を聴いた被災者の方から「ほっとした」「心がほぐれた」との反響があったそうです。
番組内で、リスナーからラジオにまつわるエピソードを募集し、繋ぎ合わせて曲にする、という企画がありました。
そして生まれた曲が「ラジオデイズ」です。
今でも歌われるこの曲は、本当に名曲だと思います。
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