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父親や妻を「人生の邪魔」だと感じ、切り捨ててきた

僕は自分の理想の人生のために、両親と弟とは縁を切り、価値観が合わなくなった女性と離婚をしてきました。

配慮をしない言い方をすれば、僕の邪魔だったので切り捨ててきた。ただ無感情に切り捨ててきたのではなく、話し合った上で理解し合えないと判断して別れを告げてきたんですね。

これ実は自分の思い通りの人生を歩みたいと思っている人は、いつか向き合わないといけないテーマで、ここに向き合わずに人生を過ごしている限り、誰かの都合に振り回されて生きていかざるを得ません。

特に「俺はもっとやりたいことがあるのに、家族や環境が足を引っ張ってくる」なんて思っている人は耳が痛い話になるんじゃないかなと思います。

父親や前妻を「人生の邪魔」だと感じて切り捨ててきた

両親と弟を切り捨てるとき、今でも覚えているのが「お前どんだけ自己中やねん」と罵られたこと。

僕の父親と弟は大きな1つの家で大きな家族として暮らすのが夢だったようです。夢というかそれが当然のようにおもっていたんだろうし、家賃を折半して大きな家に住みたいと思っていました。

ただ僕はそんな人生嫌だったんですよね。だから期日を決めて、半年以上前から家を出ると宣言し1ヶ月ほど前から念押しをして、黙って夜逃げ同然で家出をした過去があります。

僕が出ていくと生活費にこまる部分もあっただろうし、出ていく直前は連日連夜モメたんですね。そのときに「お前どんだけ自己中やねん」と言われたのですが、正直どっちが自己中なんだろうと半信半疑でしたが、反論せずすべて飲み込みました。なぜなら僕は最初から理解をしてもらうつもりなんてなかったからですね。これまでの経験上理解されることはないとわかっていたので、ただただ罵られることに三日三晩耐え続けて、予定通り全員が家にいない間に引っ越しを決行。

そのときに学んだのが「話し合えばわかる」という人は、相手が自分の意見に納得してくれる前提だということ。大人になったら話し合ってもわかりあえないことなんて、いくらでもあるんですよ。

結論として、いまでも家を出て本当に良かったと思っています。今でも両親とは縁を切ったままで、もう何年も連絡さえしていません。たぶん弟は今でも僕を恨んでるんじゃないでしょうか。

その後、前妻とも離婚するのですが、24歳のころに結婚をして32歳で離婚をしました。

結婚した当初は、価値観が合っていたと思ったんですが、結婚してからはどんどん僕の価値観が代わり、僕のしたいライフスタイルと彼女の望むライフスタイルがが全く合わなくなったため、一方的に別れを告げて離婚をしています。

このときの心の葛藤は今でも覚えていて、19歳の頃から5年付き合い結婚して7年間は一緒に過ごしたので、相手の将来とか生活のことも考えました。責任という言葉も頭に浮かびましたが、非情になりきって別れを告げたことを覚えています。

向こうの親からは散々罵られましたね。

自己中に生きることってそんなにダメですか?

どちらの場合も、僕は「自己中」だと罵られているのですが、自己中ってそんなにダメなんですかね?

自分の人生に真剣に向き合ってるだけなんです。人生一回だけなんですよ。誰かのために自分の人生を犠牲にしてどうするの?とはマジで思っています。

さてここで改めて考えてみたいのですが、自己中ってどんな人でしょうか?

「周りのことを考えず、自分の利益だけ考えてる人」としておきます。

自己中って他人からすると、迷惑なことなんですよね。自分の利益のことだけ考えているから、周りの利益がなくなる。いわゆるTakerってやつです。でもねもう少し考えてほしいんだけど、なんで周りの人は困るんでしょうか?自分の取り分がなくなるから?自分よりその人の取り分が多くなるから?

たぶん相対的にその人が自分が損をするから、自己中って嫌われるんだよね。それってお前が自分の利益しか考えてないから、相手のことを自己中だと感じるんだろうがよ。

そして小学校のころから、僕らは抜け駆けを許さない。楽をすることを許さない。みんなまんべんなく損をして、まんべんなく得をする。授業では先生の説明聞かなくても教科書読めばわかるので、勝手に先に進んでたんですが、先に進んでることを叱られて、「なんで俺が合わせるの?わからないやつほっていけばいいやん」って本気で思ってたんですよね。

つまり学校では周りが損をしないために、自分が損をしなさいと教えられる。

そうやって教えられてきた僕たちは、抜け駆けして得をするやつがいると、そいつらを批判するようになった。「ずるい」とか「自己中」だとかという言葉に当てはめるようになった。

要するに日本という国は「みんなでまんべんなく不幸になろう」という文化の国だということです。だからSNSでも誰かが幸せになることが許せないんですね。

自分の人生の主導権をつかむ

とても恐縮なんですが、実はこの話を書こうと思ったのは、手越くんの会見と当時の自分を重ねてみてたからなんです。

手越くんの退所の会見を見てて「え?みんなこんな目手越くんをで見てるの?」と驚いたんです。

ファンなのかどうかわかりませんけど、YouTubeのコメントには

なんでそんなに自己中なの?
こいつ自分のことばっか
別にそれでNEWS抜ける必要ないじゃない

というたくさんのコメントがものすごい勢いで流れていきました。いわゆる自己中な行動に対するバッシング。

僕から見れば、これで自由に動けるようになるから、もっと魅力的な手越くんが見れるなぁと思ってたんですが、ファンからするとおとなしく謹慎をしてNEWSのままでいて欲しいという声がとんでもなく多かった。つまりファンは自分の都合のいい手越くんのままでいてほしかったんだと思います。

手越くんの会見でのセリフが印象的で思わずtweetしてしまったので紹介します。

手越くんは自分の人生に真剣に向き合っていて、あまりにも周りの人との温度差があったので、「・我慢をするか・退所をするか」で悩んで、結果退所を選んだのだと思います。

自分が速く動こうとすると、周りがついていけないから困ってるんだと思う。実際、堀江さんにも独立についての相談をしてるようですね。

その瞬間を真剣に生きている人にとっては1分1秒を大切にしたいけど、周りの適当に生きている人間からすると「ゆっくりやったらいいじゃない」とか「決まりだから」「仕方ないよ」とか言われるわけです。

いや、仕方無くないでしょ。

お前の適当に生きてる1年はどうでもいいだろうけど、こちとらめっちゃくちゃ急いでいて呑気にやってる場合じゃねえんだよ。って話で。

ここで世間体とかを気にして枠に収まることもできます。「決まりだから仕方ないよね。事務所ってそういうもんだよね。来月から仕事無くなったら困るから、言うこと聞くしかないか」と思う人もいる。そういう人は一生自分の人生の主導権は握れないんですよね。

でもここで勇気をもって手越くんのように切り捨てていけば、自分の人生の主導権を握って、思い通りに動けるようになるわけです。

もちろんその分の責任も追うことになるんですが。トレードオフですね。

責任を自分で取ると、自分の思い通りの人生を歩んでいけるようになる。

いつも自己中なのはダメだけど、自分の人生において大切な部分では徹底的に自己中にならなければ、自由は手に入らないんですよね。

この会見の手越くんは最高にかっこいいので抱かれてもいいなと思いました。

みんなほんとうの意味で自立していない

自分の人生を生きるためには、ときに自己中にまわりを切り捨てる必要があるんです。

まぁ僕の例は特殊かもしれませんが、実際いろんな家庭の事情や、会社の都合とか、環境で自由になりきれない人っています。

でも僕から見れば言い訳にしているとしか聞こえないんですね。

もちろん本当に時間的にとか、生命がかかっている場合もあって、マジでどうしようもない人もいるのですが、そういう人はその前にやるべきことがあったはずだし、人生は不平等なのでそんなこともあるでしょう。

「嫌われるのが怖い」と素直に言えばまだいいんですが、恩返しがまだできてないとか、僕がいないと誰か(親とか会社とか彼女とか彼氏とか)困るみたいな、それらしい大義名分をぶらさげて、自分の行動の最後の最後で離陸直前にブレーキをかける。そして中途半端にぶら下がって依存しあってる。いつまでも別れられない高校生のカップルかよ。

もちろん恩返しをすることは大切です。でもそれだったら恩を返していないから元の状態にもどるんじゃなくて、その人も引き上げてあげるのが正解。一緒に不幸になるのは恩返しじゃないんです。

絶対に頼らない覚悟

父親を捨てるときに明確に決めたことがある。それは今後どんなに困っても親を頼らないこと。

なぜならそれをしてしまったら僕はあの人達の子供にもどってしまうからだ。

今会社を辞めてフリーとして生きているのも、離婚をしてバツイチなことも、たまたま鎖骨を折って入院をしたことをfacebookで知って見舞いに来た母親に少し話しただけ。

もしあなたがなにかに挑戦しようと思ったとき、両親を思い出して「怒られるかな?」と思ったり、お世話になった会社を思い出して「自分が辞めると迷惑がかかるかな?」とか考えているなら、それはあなたが自立できていない証拠。

なにか困ったときに助けてもらおうと思っているから、その人達の顔が思い浮かぶんです。

実際僕も父親を捨てるとき、正直吐きそうになった。でもなぜ吐きそうになっているかをわからなかったので、深く自分と向き合って考えてみました。そしたらたどり着いたのが、自分が頼るものがなくなる恐怖だったんです。

家を出る話し合いのとき、両親に「最後に頼るのは親しかいないんやぞ」となんども言われた。僕も実際、最後に頼れるのは親なんだろうなと思った。100%同意だ。でもあえてそれを手放すことにした。なぜなら自由に生きたかったからだ。

このとき初めて僕は親から自立したと思う。あなたは本当に自立していますか?なにかを決めるとき親の顔がちらついていませんか?いざとなったら助けてもらえると思っていませんか?

このあと僕は同じような経緯をたどりながら、会社からも自立していくことになります。

実は親との関係は、社会との関係とも似ているんです。

親から自立していない人は社会に出てからもなにも自分の頭で考えていない。自分の頭で考えられない人は組織や会社に頼る生き方しかできてない。

困ったときに会社に助けてもらおうと思っているから、毎月安定した給料がある会社員にすがり続ける。結果として週に40時間以上の時間を会社に捧げ続けることになる。

いざとなったとき、会社や組織に頼らずに自分の力だけで生きていくと誓うこと。これができなければ、僕らは自由になれないんです。

徹底的に自己中に生きることで僕らはやっと自由になれる

世界はどうなっているかは知らないけれど、日本は足を引っ張り合って「みんなで同じだけ損をしよう」という文化です。

その文化の人を変えようと思っても時間の無駄ですし、人間は話し合ってもわかり合えないこともある。友人なら無視すりゃいいけど、家族とか婚姻関係がある人やビジネスの関係にある人は、きっぱりと切り離してどんどん自分の周りの人間関係が変えていくのが、自由な生き方を手に入れる方法です。

間違っても恩とか、育ててくれた親だからとか、情をでながされちゃいけない。もちろん本当に大切な人ならそれもアリだと思うし、自分の子供のためならその責任もあると思うけどね。

なんか高校生の恋愛みたいな話になっちゃいましたが、実際そんなことでいつまでも悩んで人生を台無しにしながら、「あいつさえいなければ・・・」とか言ってる人多いでしょ?それって嫌われるのが嫌で、自分が悪者になるのが嫌で切り捨てられなかっただけ。

あと人の足を引っ張ってる人が多すぎる。もっとみんな自分の人生に集中しなよ。だから誰かのことが自己中だなんだと騒ぎ立てるんだ。

自分の人生の真剣になり始めたら、徹底的に自己中になること。そうしないと、元通りの人生を歩んでいくしかないですから。

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