走馬灯がしょうもなくて良い

“あの選択をしたから”自分は、後悔も目標も出来たんだと思う。

自分は昔から記憶力が良い方だろう。
幼稚園のお遊戯会の時には、クラス全員分の台詞を覚えていた。そして当日、耳が痛いと言って登園したけど帰ってしまった子と、たまたま同じ役でシーンが前後だったので代わりにやり切った。ちなみに昔話の主人公で、男女関係なく8人でシーンを割って演じていた。
思えば演じることが楽しくてたまらないのは当時も今も同じなんだろう。小学校ではお遊戯会が無いことが心から残念だった。(演じるチャンスはあったが運がなかった。)

さて、前置きはここまでにして、自分の選択について話そうと思う。

スポーツは偉大だ。

自分は小学校に上がり、新聞の子役募集の広告に心惹かれたこともあったが、どこか無理だと思っていた。でも、誰かに勇気を与えたい気持ちがあったのでスポーツ選手を目指すことにした。
なでしこジャパンのワールドカップ優勝だったり、ロンドンオリンピックも感動したりしたので、きっとこの道が人々に勇気を与えられるものだと思った。

そして出会ったのがハンドボールだった。
進学した中学校で最も強い部活だったので入部した。たくさん怒られて頑張ったが夏に結果は出せず、悔しくて高校でも続けた。
高校では初めて怪我もした。それでもめげずに頑張って全国選抜、インターハイ、国体まで出た。正直、日本リーグ入りも夢じゃなかった自信がある。
幸せなことに全国大会や合宿で様々な場所に行った。たくさんの人に出会った。今は連絡のやり取りが無くても、自分は誰のことも忘れない

言えなかった「ありがとう」

誰との出会いも忘れることはないだろうが、一番印象に残っている人がいる。簡単にRさんとする。
Rさんは、自分が名乗ると「なんかっぽくないよね!」と言って、「コートネームつけてあげるよ。」と言った後、ちょっと間があり「ゴン!」と呼び始めた。
Rさんは一つ上の方で、それから合宿の四日間ずっと「ゴン!席取りジャンケンしよう!」などと声をかけてくれた

この話をすると、初対面で名前をぽくないと言うなんて失礼だと思われるかもしれないが、Rさんの距離の詰め方や優しさ、そしてこの「ゴン」というあだ名をくれたこと、自分は感謝してやまないのだ。名前を否定された気はしていないし、自分には「ゴン」という名が似合う一面があるのだと、自分をより知ることが出来たと思っている。

でも、自分はRさんにお礼を言えなかった
理由はいくつかあるがどれもシンプルだ。ただタイミングが悪かっただけのことなのだ。
まず自分たちは合宿の後に全国大会に乗り込むことになっていて早めに出ないといけなかった。そして、その時Rさんの高校は指導の真っ最中で、しかもRさんのミスについての指導だった。
いつもより大きな声で体育館にお礼を言うことしか出来なかった。
あの時、速攻練習の、この一往復が終わったら挨拶をしに行こうと決めていた。そうしたら、その速攻中に笛は吹かれてしまった。どうにか挨拶出来ないか、ギリギリまで待った。でも、とうとうRさんとは目を合わせることも叶わないまま、体育館を去った。

感謝の言葉を言いそびれたことは仕方ないことだと分かっている。でも死んでも死にきれないくらいには心残りなのだ。

だからハンドボールを続けなかった。

全国大会の会場へ移動しているバスの中で決意した。
自分は必ず有名になって、Rさんが気づくくらい有名になって、言えなかった「ありがとうございます」を届けるのだと。
そしてその方法は、芸能界に飛び込むことだと。
ハンドボールには申し訳ないが、自分のステータスになってもらうことにした。

競技人生、唯一の後悔

自分は最後の大会である国民体育大会で大怪我をした。都道府県の選抜に選ばれて、予選もどうにか勝ち抜いて辿り着いた最後のコートだった。その初戦で足を捻った。右足首が見たこともないくらい青く腫れた。次の試合で足は動かず負けたチームに貢献出来なかった

これは因果応報だと思う。
なぜなら、自分はハンドボールを嫌いになったからだ。学校終わりに遠くへ行って遅くまで練習して帰ることが苦痛に感じてしまったからだ。国体までにはモチベーションは回復していたが、ネガティブな感情を持った事実に変わりはない。
自分が勝手に愛したスポーツなのに、逃げようとした
とても後悔している。国体でやめると決めていたのに、どうして自分は最後まで戦い抜けなかったんだろう。最後まで愛し抜けなかったんだろう。ずっと後悔している。
だから、怪我という後味の悪い引退挫折になった。
怪我は病院に行く気力も出ず、1ヶ月以上は痛いまま足を引きずって過ごした。足枷をしている気分だった。お似合いだとも感じていた。

あの選択は、ゴールで、スタートになった。

自分の選択は、ハンドボールをやめることだった。
大学に推薦で行くこともできただろうし、ゆくゆくは日本代表を狙うことも面白かっただろう。

でもやめてよかった。もちろん、寂しい気持ちもあった。

でも、やっぱり良かったんだ!
ハンドボールという大好きなことを一度嫌いになったから、努力をし続けることが才能だと気がついた。

今度は演技を死ぬまで愛し抜いてみせる。どんなに下積みが長くても、もう自分は折れない
昔から大好きなことをやって、認められて、有名になって、Rさんにも思い出してもらって、あの日の感謝を伝える。

弟に、「そんな細かいこと、なんでもかんでも覚えていたら、走馬灯がしょうもなくなりそう」だと笑われた。きっと弟はこんな会話をしたことすら覚えてないだろう。

自分は忘れない。

感謝だけじゃなくて、謝りたいこともたくさんある。
やめたからやっと気がつけるなんてことはもうしたくない。

だから絶対に忘れない!
ハンドボールをやめるという選択に、自分の未来を賭けたことを。
自分の価値を捨てて、本気で演技を愛しに生きることを。

ハンドボールを失って気がついたことを。

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