大人にこそ刺さる傑作『スモールフット』

※『ビランジ』43号(2019年2月発行)に寄稿した文章の再録です。文中の事項は当時のものです。

 2018年は海外アニメーション映画の注目作が多く公開された年だった。前号でも取り上げたように『ぼくの名前はズッキーニ』をはじめとする人形アニメーション(ストップモーション)映画、2D及び3DCGによるアニメーション映画。その多くは差別や偏見、他者との融和といった今日的な問題をテーマとしており画期的だ。ただ、海外アニメーション映画においてはディズニー/ピクサー以外の作品の劇場公開は少なく、注目作でありながら劇場でなくネット公開やDVD発売に回ってしまう作品も多いのが気がかりではあるが、それでも国内にいながらにして海外の諸作品が見られるこの傾向が今後も継続されることを心から願うものだ。
 さて、今回はそんな活況を見せる海外アニメーション映画の中から、昨年の3DCGアニメーション映画の傑作、『スモールフット』(ワーナー・ブラザース・アニメーション製作)を取り上げてみたい。カテゴリーとしてはファミリー映画だが、大人の心にこそ刺さる作品だ。
 「スモールフット」とは、相対する「ビッグフット」(イエティ)の側から見た人間のこと。主役は伝説の存在であるイエティの側であり、映画の中でイエティたちは雪深い高山の頂に人知れず集落を築き、祖先からの掟を固く守りつつ文化的な暮らしを送っている。イエティの一人、主人公の青年ミーゴはある日、偶然に彼らの間で伝説の存在とされているスモールフット(人間)と出会う。しかし、彼の言葉を他のイエティたちは信じないばかりか、村の掟を刻んだストーンを守る最長老ストーンキーパーから追放を言い渡されてしまう。世界にはイエティしかいないとするストーンの教えに疑いを抱いたミーゴは、密かにスモールフットを研究している最長老の娘ミーチーたち仲間の助けを得て、スモールフットが暮らす未知の世界を求めて山を下りる。そこでミーゴが見たものとは。
 とにかく脚本の練り込みがすごい。二転三転し、こちらの思い込みや固定観念を揺るがせて来る。キャラクターたちは、そのカートゥーン的な見た目に反した深みを持ち、善悪の役どころに留まらない多面的な人間性を備えている。作中で主人公ミーゴの信念は砕け、変節もする。それはそのまま観客自身の体験ともなる。そして、その更に先に待ち受ける結末の風景が感動をもたらす。
 ミーゴのイエティの村での役割は父ドーグルが毎朝行っているゴング鳴らしの技を修行し、やがては父の後を継ぐこと。誇り高いドーグルが体当たりで鳴らすゴングの音がなければこの世界に朝が訪れないとストーンの掟には刻まれていた。が、ある日、父の代理に立ったミーゴは的を外し、ゴングが鳴らなかったにも関わらず夜は明けた。ミーゴの心に掟への疑惑が湧く。快調な出だしだ。
 やがてミーゴは人間(スモールフット)の青年パーシーと出会う。パーシーは視聴率が低迷する番組のテコ入れに伝説のビッグフットの動画撮影にやって来たのだった。このパーシーの設定の同時代性。彼の動画がSNSで拡散して騒動を巻き起こす展開もあり、完全に今の物語となっている。口が軽くてお調子者、しかし内面に生来の誠実さが埋もれているパーシーの性格設定が後で生きる。
 ミーゴはストーンの教えに疑惑を深めるが、パーシーという証拠がありながらもそれがスモールフットであることを否定される。この辺りの展開は大人の目で見るとなかなか恐い。権力者によって真実が逆に捏造疑惑をかけられる現実世界の暗黒面すら思わせる。そして、この展開が、旧弊な思想に凝り固まった権力者(ストーンキーパー)=悪役とそれに抵抗する正義の若者、とその勝利の物語へと観客をミスリードするから、この脚本は油断がならない。
 実際、最長老は自ら体を張ってミーゴのピンチを救いもする。単なる悪役ではないのだ。そして、最長老はミーゴに真実を明かす。代々の長老はスモールフットの存在も、この世界の成り立ちも全て知っていること。では、なぜ皆を欺き偽りの掟を強いるか。それは彼らの歴史が教えている。ビッグフットとスモールフットとは相いれないこと。武器を持ったスモールフットにビッグフットは狩られ迫害されてきたこと。彼らに追われた祖先は雪山の頂上に逃れ安らぎを得たこと。この世界を守る為に偽りの教えを広め、スモールフットとの隔絶を進める、それが長老の務めだと。この訴えが正しいことを身を持って知ったミーゴは変節する。無邪気な正義で命は守れない。観客も共にそう信じる。主人公の掲げる正義が中盤で否定される、そんなアニメが他にあるだろうか。しかし、そうさせるだけの力をこの訴えは持っている。それは、ファミリー映画としてこの映画を見る子供たちよりも、現実の数々の歴史、差別と迫害を知る大人の心により強く訴えかけてくるだろう。また、真に為政者のなすべきことは何か、真実か、住民を守ることかの問いも突き付けてくる。絵本のような見た目に反し深いのだ。
 しかし、この映画の感覚はこれまで述べた骨子の硬質感とは全く違って、明るく楽しいファミリー映画としての外殻を崩さず、しっかりエンターテイメントしている。ここがこの映画のすごいところだ。
 青や紫の寒色系を基調とした美しい色彩に彩られた雪深いイエティの世界。新しいシステムを導入して臨んだという様々な雪の表現も見事だ。パノラマ的に捉えられた日々の暮らしのユニークさと、行き交う大勢のイエティたちを見る楽しさ。もふもふの毛皮に覆われたイエティたちの一人一人個性的で親しみ易い容貌。主人公ミーゴを基本として、毛並をカールさせたり羊のようにクルクルさせたりショールのように流したり色を変えたり、外見の工夫が見て取れる。CGでは難しい毛の表現も実に見事だ。
 ちょっと脇に逸れるが特筆しておきたいのは、イエティたちの程良いサイズ感。人間を胸に抱え込む程の大きさ。恐怖感はありつつもコミュニケーション可能なサイズ。終盤、ミーチーが人間の町に迷い込むのだが、家並みから上半身が見える程の、ちょうど成長途上の東宝フランケンシュタインを彷彿させるようなそのビジュアル。仰ぎ見た時の何とも言えない怪獣映画的なアングルが堪らない。特撮好きな方には是非とも本作をお勧めしたい由縁である。
 随所に入る楽しい歌と笑い。日本ではほぼ吹替え版の公開になったと思われるが、そのキャストも、ミーゴに木村昴(オリジナルはチャニング・テイタム)、パーシーに宮野真守(ジェームズ・コーデン)、ミーチーに早見沙織(ゼンデイヤ)と歌も声の演技も達者なプロ声優たちを取り揃え、ミュージカルとしても聴かせる。更にストーンキーパー役でベテラン声優・立木文彦(代表作に『新世紀エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウ)までが堂々と歌声を披露するお得感もたっぷりだ(オリジナルキャストはラッパーのコモン)。ミュージカル・ナンバーは本作の監督キャリー・カークパトリック自身が作曲家のキャリアを持っているだけに本格的な作りでキャラクターそれぞれの心情を歌い上げる。中には今まさに何度目かの旬を迎えたクイーンがデヴィッド・ボウイとコラボした『Under Pressure』の原曲をそのままパーシーの歌にスライドした『Percy’s Pressure』もある。本作の公開時期が少しずれていたらさぞや話題になったろうと思うと惜しい。
 言葉が通じないが故の食い違いがギャグたっぷりに描かれるミーゴとパーシーの出会いのシーンや、手製の機械で下界を観測しようとするミーチーと仲間たちの活動等のコミカルな描写にワーナーのドタバタカートゥーンの伝統が生かされ、ただ見ているだけでも十分楽しい。その上で突っ込んだ見方が出来るのが傑作の由縁だ。
 映画の結末は実際に自分の目で確かめて頂きたいが、起承転結の快感と、伏線と小道具はかく使うべしという映画作りの手本のような素晴らしい展開が待っている。パーシーとパートナーのブレンダとの大人な関係も素敵だ。マイノリティと融和に関する極めて今日的な提言を示す映画。それはミーゴとパーシーの種族と言語を超越した理解と友情がもたらしたもの。国境に壁を作っている場合では全くもってないのである。この映画がアメリカで作られたことを讃えたい。

 製作と原案を務めたジョン・レクアとグレン・フィカーラはこう語る。伝説の存在であるイエティという発想を180度逆転してみたらどうなるだろうと。我々は相手側の立場になってモノを見たくないがために、本当の自分の姿を逆の視点から見ようとせず、そのせいで意見の違いを生む結果につながっているのではないかと。『スモールフット』は、新鮮な発想と視点の転換から生まれた物語なのだ。
 監督・脚本・原案・製作総指揮はキャリー・カークパトリック。彼はアニメーション映画を現代におけるイソップ物語と捉えると言う。擬人化された動物を使って風刺を効かせ、笑いでメッセージを伝えつつ人間社会を描くものだと。『スモールフット』では「他者」との関係性をテーマにした。異質なものへの不信感や恐れと共に心打つものも描ける題材だと。真実を語ることは時として辛い。だからこそ、映画で「正しいことであっても容易いとは限らないよね」とそっと語りかけてあげたいと語る。彼は30年以上のキャリアを持つ脚本家・監督・作曲家であり、2007年に共同脚本と共同監督を務めた『森のリトル・ギャング』でアニー賞最優秀監督賞を受賞とある。2007年といえば私は足を痛めて映画館から遠ざかっていた頃で、これは未見。早速探して見てみようと思う。
 製作総指揮にフィル・ロードとクリストファー・ミラーが加わっているのも注目で、彼らの作品には、絵本を原作にした佳作『くもりときどきミートボール』(理系な聡明さを知られると鬱陶しがられるが為に愚かさを装う女の子が出て来る)、メタフィクションの構造を持ち、主人公の立ち位置が問われる傑作『LEGO®ムービー』等がある。おそらく、そのキャリアは本作にも反映されていると思う。また、脚本のクレア・セラは女優出身の異色のキャリアの持ち主。製作総指揮の一人セルジオ・パブロスと音楽のエイトル・ペレイラは大ヒット作『怪盗グルー』シリーズや『ミニオンズ』にも参加と、多彩な編成だ。
 スタッフをまとめると、
監督=キャリー・カークパトリック
原案=キャリー・カークパトリック、グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
脚本=キャリー・カークパトリック、クレア・セラ
製作=ボニー・ラドフォード、グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
製作総指揮=キャリー・カークパトリック、ニコラス・ストーラー、フィル・ロード、クリストファー・ミラー、ジャレッド・スターン、セルジオ・パブロス、コートネイ・バレンティ、アリソン・アベイト
音楽=エイトル・ペレイラ
となる。海外作品の特徴である集団的な討議(ブレーンストーミング)によって物語が編まれたことが伺える編成だ。

 日本では2018年10月の公開。ディズニー/ピクサー以外の海外アニメーション映画、殊に馴染みのないオリジナル作品は興行的に極めて弱い日本(一昨年の『KUBO/ クボ 二本の弦の秘密』のヒットは異例中の異例)では公開規模も小さく、大物俳優が声の出演をしているでもない為に十分な宣伝もなく早々に上映を終えてしまったが、内容の良さにおいてはどれにも引けは取らない。ファミリー映画はDVDレンタルに出回り易いので、子供には心の糧、大人には気づきの種として末永く視聴され、その良さを知る人が増えていって欲しいと切に願う。


※初出:『ビランジ』43号(2019年2月発行、発行者:竹内オサム)
※『ビランジ』からのアニメレビューの再録は今回で一区切りとなります。

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