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現代美術館『井上泰幸展』

現代美術館で開催中の『生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展』を鑑賞。2022年5月10日(火)。
井上泰幸さん(1922~2012)は東宝において渡辺明さんに続く二代目特撮美術監督となり、その後も生涯に渡り日本の特撮を支えた人であり、特撮美術という枠に収まり切らない働きをした人だ。通称タイコーさん。
井上泰幸さんに関しては2014年8月に生地である福岡県古賀市で開催された展示を観たことがある。
その時も充実の展示だったが、現代美術館という広い舞台を得て更に見所も広く深くなった。
場内は井上さんの人生を追う形で「特撮美術への道」「円谷英二との仕事」「特撮美術監督・井上泰幸」「アルファ企画から未来へ」「井上作品を体感する」と展開。
生い立ちから彫刻家でもある玲子夫人との絆、円谷英二特技監督率いる東宝特撮での活躍、退社して立ち上げたアルファ企画での仕事、後進の育成、等々を紹介している。
会場内は撮影不可なので写真では伝えられないが、とにかく見応え充分で、豊富なスケッチ、デザイン画、図面、現場の記録写真、ミニチュア、プロップ等々を500点余り展示。
これらは井上さんの姪である東郷登代美さんの愛と献身によって保存されてきたもの。
井上さんの展覧会については、この姪御さんのお力なくしては実現不可能だったもので頭が下がる。

多彩な展示物の中でも「井上式」としか言い表しようのない仕事の流儀が伺える資料が興味深い。
本来、特撮美術は特技監督(東宝では円谷英二)の求めを実現すべく動く仕事と言えるところを、井上さんは先ず台本から自ら発想を膨らませ、1枚の紙に、コンテ風の画、必要と思われる美術デザイン、登場する怪獣の配置、美術セットの図面や予算から特殊撮影の段どり、人の手配まで一目で俯瞰出来るように書き(描き)込んだものを独自に作成している。
それらは他人の目には触れさせなかったというが、時には円谷英二特技監督がそれらを逆に参考にしたと思しきカットもあるというから特撮史にも関わる資料だ。
職分を越えた働きは、監督を手がける以前の宮崎駿さんの仕事ぶりにも似ている。

東宝特撮を支えた重要な舞台である東宝特美の大プールを設計したのも井上さんで、そこを埋め尽くす寒天の海と、その波頭を崩さずに立ち入って作業出来るギザ歯の下駄を導入したのも井上さんだ。美術の域を越えている。
妖しく光る妖星ゴラスのミニチュアや、諸般の事情で現在では観られなくなっている映画『ノストラダムスの大予言』の各種資料が見られるのも嬉しい。
井上さんの仕事で有名なのが『ゴジラ対ヘドラ』でのヘドラのデザインと、ヘドラがビルを擦り抜ける、工場の排煙を吸うなど印象的な場面のイメージ画の数々。
これらは実際の映画の画面で実現されており、発想から完成にまで深く関わっていることが伝わる。
井上さんのモットーである「ミニチュアではなく、本物を作る」の姿勢が最も発揮されたのが『空の大怪獣ラドン』の特撮セットで、西海橋と、福岡天神の岩田屋デパート周辺の精緻な再現が有名。
この展示では、井上さんの愛弟子である特撮美術監督・三池敏夫さんが中心になり、井上さんが遺した図面を元に作成した岩田屋と周辺のミニチュアセットが最後のコーナー「井上作品を体感する」に実物展示されていて圧巻だ。実制作はマーブリングファインアーツ。
ここは撮影OKなので皆、熱心にカメラを向けていた。
実はずっと、岩田屋のミニチュア左面に足場が組んであるのが不思議だったのが、これは井上さんが現地ロケハンを行なった当時ちょうど工事中で足場が組まれていたのを忠実に再現したものと判明。ミニチュア制作が複雑になるのに、ここまでやるかと驚愕した。
とにかく作りが精緻。
どこにカメラを向けても絵になる。
当時は路面にあった西鉄天神駅や西鉄電車も精巧に再現。
周りの看板類がいちいち良く出来ている。実は一部に地名の取り違え(宮地嶽と津屋崎。当時の実働スタッフのミスと思われる)があるのが却って実際にロケハンした証拠にもなっていて妙。これも今回忠実に再現されている。
デパートの催し物や映画の看板の女優さんたちの名前も良い味。
セットの背景画にはこれを描いた島倉二千六(ふちむ)さんのサインも見える。
すぐ横で『ラドン』の当該場面が繰り返し上映されていて、見比べるのもまた一興。
全体に非常に見応えのある展示の最後にこの岩田屋のセットがあることで満足感も更に大きくなる。

また、途中に、晩年の井上さんとスタッフが、井上さんの指示で海底火山の噴煙を再現する映像があって、これが楽しい。
東宝特撮では『サンダ対ガイラ』や『海底軍艦』等で使われた、大型水槽に様々な色の絵具を落とし、逆さまにセットしたカメラで高速撮影する特撮技術。
一回目は失敗で、調合などを変えて再度挑む。指導する井上さんはじめ皆、少年のようにキラキラしていて、本当にいい。特撮の現場は永遠の憧れだ。

現代美術館では以前は毎年のようにアニメ特撮系の大型企画があったのだが、設備改修による長期休館やコロナ禍もあってしばらく途切れていた。頃合いを見てまた復活してほしいものだ。
『井上泰幸展』は6月19日まで。今のところ地方巡回は予定されていないけれど、現代美術館の公式サイトには場内を案内する動画もあるのでお薦めだ。


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