「志と心意気 河童とネズミの夏休み」

※『ビランジ』20号(2007年9月発行)に寄稿した文章の再録です。文中の事項は当時のものです。

 実は今年の夏のアニメシーンはかなりすごい。宮崎、押井といった大御所の作品が来年以降に控えている関係からか、昨年度のようにマスコミを挙げてブームをあおるというムードこそ出ていないものの、ざっと上げても、ピクサー社+ブラッド・バードの『レミーのおいしいレストラン』、かつて『映画クレヨンしんちゃん』で大人を泣かせた原恵一の『河童のクゥと夏休み』、原作マンガ人気に加えクラシックブームただ中で公開の『ピアノの森』、昨年のヒロシマアニメフェスで絶賛を集めたミッシェル・オスロの『アズールとアスマール』、アヌシーアニメフェス2006長編グランプリの『ルネッサンス』、常に先鋭感満載のスタジオ4℃のオムニバス『ジーニアス・パーティ』、『ピンポン』の曽利文彦による『ベクシル―2077日本鎖国―』、ポーランドの人形アニメ短編集『おやすみ、クマちゃん』等々と、バラエティ豊かなラインナップに、『ポケモン』『アンパンマン』『NARUTO』『シュレック3』等の常連が加える。
 昨年のような大宣伝をバックにした大作感こそ薄いかも知れないが、どれも、これはとヒザを乗り出して見るに足る作品揃いだ。
 そして更に9月以降も、話題の『エヴァンゲリオン新劇場版』を筆頭に、このアニメラッシュは継続されていく。一定の集客が見込め、公開後も様々なコンテンツ利用が見込めるアニメならではのことだろうが、それらについてはまた場を改めてということで、今回は、締め切りの関係もあって、前掲の2本、『河童のクゥと夏休み』と『レミーのおいしいレストラン』に絞って記しておこうと思う。

 『河童のクゥ・・』は、これはすごい。あの原恵一の、というのは世間的には『映画クレヨンしんちゃん』の『モーレツ ! オトナ帝国の逆襲』と『アッパレ ! 戦国大合戦』で、大人が泣くアニメとしてワイドショーでも取り上げられる等の社会現象を巻き起こした原恵一の、という意味で、個人的には『エスパー魔美』などで細やかな日常を描いて注目の原恵一ということだが、その最新作というだけで期待は高まるのに、その期待度を軽く上回る出来なのだ。題名から、少年と他者のひと夏の出会いと別れという、ありふれた内容を想像してしまいそうになるが、そしてそうした作品は沢山あるが、これはそんな位置には留まらない。
 2時間18分の長丁場に、ぎっしりと詰め込まれたドラマの密度の濃さ。これでもなお30数分をカットしたというのだから驚く。
 冒頭の、江戸時代の挿話が哀れでならない。この時点で既に心は物語に取り込まれている。現代に甦った河童の子クゥと、康一少年とその家族との交流。男同士、子供のように心浮き立つ康一と父親、それを見る母親の態度や、素直になれない妹の可愛げのなさの自然なさま。康一のクラスメートや、いじめられている少女、菊池紗代子の存在と、彼女が次第に気になっていく康一の心情。河童の生存が許されないような自然環境のあり様。クゥの存在を巡って過熱していくマスコミと、社会人としての対応を迫られる父親。侍に斬り殺された父河童の形見の腕と対面するクゥの嘆きと怒り。クゥをかばって命を落とす犬のオッサン。オッサン自身が抱えていた過去の飼い主の少年との温かくて辛い思い出。一家を取り巻く地域社会の身勝手さ。それらを原監督はギャグやファンタジーに逃げることなく、愚直なまでに真摯に一つ一つ描き出していく。
 2時間18分のドラマに立ち会いながら、観客である自分は紛れもなくクゥを追い回してケータイカメラを向ける側にいることを自覚させられつつ、それでも、クゥをどうしてやればいいのか、クゥはどう生きるべきなのかを上原一家と一緒に考え悩んでしまう。観客の感情導入にあたって、見事な演出手腕ゆえだと思う。
 そして、そこに思いがけず差し出される救いの手。何の伏線もないのが却って、クゥはこの先どうなるのだろうと康一と共に心配させられる。
 意外な結末は、新たなクゥの旅の始まりでもある。クゥの、キジムナーの、座敷わらしの、龍の存在が、社会に虐げられ、滅んでいく現実の少数民族にさえ重なって見える。
 クゥをコンビニの荷物として送り出した康一が、集配の車を見送って顔を上げた時、キリッとした少年の顔になっているのがいい。ベタベタとした情緒に溺れない演出もまたいい。
 康一のクラスメートたち男女のもの言いや行動にも、今の子供らしい実感がある。いじめの描き方にも、その行方にも、よくある啓発映画とは異なる監督の思いがにじむ。転校が決まった紗代子が、離婚した母親のオトコの靴を捨てるシーンが好きだ。大人の都合で振り回されてたった一人で我慢して生きて来た紗代子は、もう一人のクゥだ。そんな紗代子が、クゥと対面して一歩を踏み出す。抑えて来た感情が爆発して道端で泣き出す紗代子を心配しつつ、何もしてやれずに立ち去るしかない康一の子供さも実感がある。紗代子やクゥと関わることで、いじめられる側になってしまった康一は、クゥ直伝の相撲の技でいじめっ子を倒すが、現実はドラマのようにこれで終わりではない。マスコミを敵に回してしまった父親もまた苦境に立つだろう。
 映画という楽しみを通して現実や社会や人間そのものをあぶり出すこと。告発や説教ではなく、理解度に応じて共に考えさせること。いまだかつて誰も、『おもひでぽろぽろ』や『平成狸合戦ぽんぽこ』の高畑勳ですら出来なかったことを成し得た原監督を素直に讃えたい。上映中ずっと、自分は今とんでもないものに立ち会っているのだという思いで体がガクガクとしっ放しだった。ここには、高畑監督が『王と鳥』のポール・グリモー監督を讃えて言った「漫画映画の志」が確かに息づいているのだ。
 利発で律儀な河童のクゥの声を演じた子役、冨澤風斗をはじめ、誠実な声の演技陣もまた讃えたいと思う。
 惜しむらくはクゥ以外のキャラクターが画面ではやや地味に見えてしまうこと。遠野での水中シーンなど素晴らしい場面も多々ありながら作画の質にバラつきが出てしまったことは、長い製作期間を念頭においても惜しい。作画監督の末吉裕一郎さんの本当の、並々ならぬ実力を知っている故に。

 『レミーのおいしいレストラン』に話を移そう。
 これも、傑作『アイアン・ジャイアント』『 Mr.インクレディブル』の監督、ブラッド・バードらしいビターな物語。CGが発達した今なら実写でもいけるのではないかと思うようなストーリーが展開する。自分の才能の無さに悩む若者リングイニと、マフィアのファミリーを思わせるネズミ集団の一員として、また人間でなくネズミに生まれついた出自を背負う料理好きのレミー。1人と1匹の葛藤に、有名シェフの落としだねや、大人の恋愛が絡む大人のドラマ。タイトルから、料理が得意なネズミの面白おかしいアニメ映画を期待して来た観客は途中まで、ちょっと肩透かし気分すら味わうだろう。大人のドラマについていけないで退屈する子供もいるかも知れない。でも、それがある時ふわっと、アニメならではの幸福の絶頂に浮かび上がる瞬間が訪れる。そこから一気のラストは100%完璧な成功ではなくて、小さな、しかし堅実な幸せ。洒落たエンディングに送られて世にも幸せな気分で劇場を後にすることが出来る。これぞ映画の醍醐味。
 都会を舞台にする以上当然の、配給元ディズニーの傑作古典『田舎ねずみと町ねずみ』へのオマージュも、往年の (という言い方をせねばならないのが口惜しいが) 宮崎駿もかくやというダイナミックな追っかけもあって目にも満足。リングイニの前に現われて助言を与える亡き名シェフ、グストーのゴーストは、ティンカー・ベルの輝く妖精の粉をまとったコオロギのジミニ・クリケットのようにも見える。ゴーストが現われる理由もきちんとあるのが見事。
 『ラタトゥユ』という原題は、ここ一番の大勝負にネズミのレミーが一族を率いて作る料理の名。映画ではレストランらしく洒落た盛り付けになっているけれど、元々、何種類もの野菜をことことと煮込んで作る家庭料理。時間と愛情を込めて煮込まれた野菜の持ち味が混然一体となった美味しさは、この映画のタイトルに実に相応しいし、けなす気満々で料理を口にした料理評論家の脳裡に、一口で瞬時に幼い日の母の味の思い出が甦る描写も演出も実に上手い。この評論家のキャラクター設計は実に魅力的だし、彼が最後に出す誠意あふれるコメントが映画全体を引き締めている。技術的には、キャラクターの微妙な芝居や表情にかけては文句のつけようがない程の完成度を見せる3DCGだが、肝心の料理の美味しく温かい質感まではまだ伝えきれていないように思うが、どうだろう。
 エンディングでの誇らかな「100%手作り。ロトスコープは使っていない」との宣言は、「漫画映画の志」ならぬ高らかな「漫画映画の心意気」と言えようか。快作である。


※初出:『ビランジ』20号(2007年9月発行、発行者:竹内オサム)
※『ビランジ』は漫画研究者・竹内オサム氏が個人で主宰する研究冊子。1997年創刊。年2回刊。(故)渡辺泰氏、村上知彦氏ほか著名な研究者・評論家・編集経験者などが集い、漫画を中心にした学究書的な雰囲気が色濃い。2021年現在も刊行されており通販も実施、バックナンバーは国立国会図書館、現代マンガ図書館などで閲覧可能。
※私は竹内氏の求めで18号(2006年9月発行)から連載『アニメーション備忘録』として参加。再録に際し竹内氏の快諾をいただいた。まず作品レビューにあたるものから再録してみたい。

※文中の「昨年」=2006年公開のアニメ映画といえば『時をかける少女』『ゲド戦記』など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?