日記 2023.11.1 ゲレンデ

久々に大阪に帰る。そしてその帰路で、久々に日記を書こうと文字盤を打っているわけだけど、この少し文字を打つだけでもかなりこう、手が止まってしまうというか、少しの間書かないだけでこうも鈍ってしまうのかと思っている。

今こう、京都を離れつつ思うのは、僕が京都にこだわる理由は結局人なんだろうと思う。人というのは、僕にとって身近で具体的な個人のことであるが、やっぱこう、ぼくは外に飛び出していく、みたいな気概はあまりないのだと思う。細々と、だけどゆったりとした時間というのを、限られた友人や家族や恋人と過ごしていく、というのが、僕の理想とするところ、というよりかは、僕がほんとに求めているところなんだろうなと思うわけだ。かなり狭い場所でも生きられる。手遊びが得意なのも頷ける。

人によって自分の暮らす場所を定めるのは、既に中学生の頃から始まっていて、中学受験において学校を選ぶ決定打となったのも、具体的な個人だったのを思い出す。これは誰にも言ってないことだ。ある種傲慢なのかもしれないが、やはり僕は人に生かされてきたなと思う。それと同時に、人に振り回されている形で多くの人と関わるような人間であったなとおもう。

まあ、でもこれはけっこう多くの人に当てはまる生き方だと思うし、全然特殊なことでも無い。ただまあそういうやつです僕は、という感じ。

今回大阪に帰る理由はなんてことないいつもの理由だが、それだけでも京都を離れるのは結構きつい。普通にすぐ京都に戻りそうな勢いだ。

実家に着くと、弟が声をかけてきて、実家の近くにできたホームセンターがやばいから行こうと言われた。確かにやばかった、商品の展示の仕方が異常で、棚とかがバラバラに分解されて並べられてびっしり壁に貼ってあったり、同じ歯ブラシがびっちり並べられて壁に貼ってあったり、炊飯器の蓋がびっちり並べられてあったりした。キモかった。

弟のことは大好きだ。しばらく会ってなかったが、なんにも変わってなくて安心した。人間の優先順位を付けられるようになっているな。そう思う。

この前奥村と話している時、変化は大事だよなみたいな話になった。これを思い出したのは、今書いている日記をチラと見返したせいだ。僕の日記はなんかこう、自分の状態変化をポジティブに記録している感じが常にあって、以前その指摘もあった。変化の話だが、やっぱり自分はこう、変化を自分に認めつつ、ちゃんと外に変化を出しながらやっていこうとしてる感じがあって、周りを巻き込みながらも常にもがいている感じがする。周りに戸惑いを与えているだろうな。

変化した人に対して、あるいは変化を外に意識的に出している人に対しての対応って、確かに結構難しい。こちらとしては、そのまんま変わらず接し続けることしかまあ出来はしない。まあだけど、良し悪しは置いといて、変化を自分に無理にでも認めるというのは結構大事だと思う。

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