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人生万年筆理論

文字を書くとして、筆記具に何を選ぶか。
鉛筆、シャーペン、ボールペン、万年筆、はたまた投票所のアレ。

買い物メモする程度の目的に万年筆を購入する人はそう多くないだろう。
同様に、大事な書類にサインするとき投票所のアレでは役不足だ。

では自分の人生を記す筆記具に何を選ぶか。
私の人生に万年筆は分相応なのか?
私の人生は何本もの筆記具を使い分けて彩り豊かに記す価値はあるのか?

そう考えると買い物するとき、日常の些細な決定をくだすとき、常に決断は重苦しくて、何もしない何も考えないのが正解な気がしてくる。

ひどく後ろ向きな考え方ではある。
しかし、いずれ死ぬことが確定していて、いま生きる時間をどう過ごすのが一番自分を納得させられるか、こういうアナロジーに思い馳せてしまう。

この議論は自己肯定感とか合理性とかそのときの機嫌とかと全然関係ないことに思える。だから「遠慮なく万年筆使いなよ」とか「鉛筆で十分満足だ」とかそういう話でもないような気がする。

一学期が終わってもう使わないノートを見返したときの納得感に似ている。
私はいま万年筆を使うに足る時間を過ごしているだろうか。