【小説感想】ポハピピンポボピア星人と地球星人のあいだで【村田紗耶香『地球星人』】
社会には暗黙の義務がある。
別それをしなきゃ罰金や処罰があるわけではないのに、僕らは多くの規範をこなして生きなければならない。
たとえば清潔であること、子どもには優しくあること、初対面の人には敬語を使うこと、電車で口紅を塗らないこと……
勿論、これは人によって個人差があり、どんな人も守っている義務とそうでない義務があり、各義務に対して感じる重みも違う。バンカラを好んで不潔な人が意外と上下関係に厳しかったり、子どもには優しくあるべきと考える人が他の規範にはてんで無頓着だったり。
ただそのなかでも、あまねく普及して相応の重さを持つ義務は働くことと子供を産むことではないだろうか。
「ニート」という言葉は若年無業者という状態よりも侮蔑的な意味を含んだ用法が多く、同性愛者など子どもを産まない人に「非生産的」なんて揶揄する人もいる。別に働かなくたって、子供を産まなくたって、罰金も処罰もない。しかし嘲笑と蔑視がある。それはSNSで出くわすかもしれないし、過去の親や友人や先生の言葉が心のうちでベクトルを変えて襲いかかってくるかもしれない。
そして義務はその達成の度合いに評価を与える。仕事でより富を蓄えた者は優であり、子どもを産み「健全な家庭」を育む者は優である、という風に。では、その出来損ないはどう生きるのだろうか。……
さて、今回感想を述べる『地球星人』(村田沙耶香著)の主人公「私」はポハピピンポボピア星人(!)だ。
こう書くと、SFですか? と訊かれるかもしれないが、そうではない。 僕もはじめの数ページ、三島由紀夫の『美しい星』を連想した。あれも自分を火星人やら水星人やら思い込む人達の話だったから。
けれどもこの二つはテーマが全く違う。『美しい星』は人間の存続価値というダイナミックな題材を扱ったけれども、『地球星人』はもっと身近で、しかし切実なものを扱っている。
『ここは巣の羅列であり、人間を作る工場でもある。私はこの街で、二種類の意味で道具だ。
一つは、お勉強を頑張って、働く道具になること。
一つは、女の子を頑張って、この街のための生殖器になること。
私は多分、どちらの意味でも落ちこぼれなのだと思う。』(p.54)
この物語は、「私」と、先に述べた働く義務と出産の義務、それらとの距離の話だと思う。
「私」は自分の生きる世間のことを「工場」と呼ぶ。そして地球の人間を生産の部品としている。「工場」に洗脳された部品と(現に内臓や臓器のような生物的な表現で性器を表現し、部品性を強調している)。
「工場」というと、ぴっちりと隙間のない感じに思える。他の余地のない、オートマチックである種の狂気のような印象。しかし人々はそこに疑問もなく、信仰して、遂行している。そしてその狂気への信仰がある故に苦しむ人もいる。 そんな部品たちを「私」は羨ましく思いながら、その実軽蔑もしている。洗脳してほしいと願いながら、洗脳された部品たちを滑稽に思っている。盲目的な生き方に対するアンビバレンスが「私」のなかで渦巻いている。
また自分をポハピピンポボピア星人と思うことはひとつの処世術ともなっている。そう思うことが「工場」から洗脳されることへの逃げ道として、また洗脳されることへの手がかりとして。
「私」は彷徨う。義務という強迫的な価値観から逃げるのか、迎合するのか、ポハピピンポボピア星人の目と地球星人の目の間で。そしてその行き着く先は……。
この物語は正直、感動といえる類のものではない。何か、ずっと心を鈍器で殴られ続ける感じがする。痛くて、痛くて、仕方がない。
それはきっと、作者がどちらも擁護していないからだと思う。地球星人も、ポハピピンポボピア星人も。どちらに対しても甘く優しい言葉がなく、そのぶん感性を休めさせない。
この物語はあまりにも多くの衝撃を含んでいる。この感想自体、その切れっ端ぐらいしか書けていない(特に性の問題や「教会」などはそうだ)。読み手によって殴られる鈍器の種類が変わる。怒りが沸く人もいれば、情けない気持ちになる人もいるだろう。しかし、だからこそこの作品は強烈だ。
多分、ポハピピンポボピア星人も、地球星人もどちらも存在しない。皆一部、ポハピピンポボピア星人であり、地球星人なのだ。誰もがすべての義務から自由ではないし、しかし誰もがすべての義務に従順なわけでもない。義務に首を絞められながら、別の義務で誰かの首を絞めている。
そういった首の絞め合いのなかで、僅かな弛みを探すことが生きることに必要かもしれない。月並みだけど。
最後に、良いなと思った文章を載させてほしい。気になったら是非。
『姉は、姉自身が喋っているのではなく、世界から喋らされているような調子で言葉を吐き出す。私は、そういう姉がうらやましかった。』(p.204)
村田沙耶香(2021)『地球星人』新潮社.
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