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めも 諦観



1、だれか


「病んでるときのほうがいいことばが発せられる」なんて言っていたのを懐かしく感じる。
あのときのほうが苦しかった、のかな。よく覚えていない。
もしそうだったとしても、今のほうが救いようがないかも。これは健闘結果の負傷ではなく、ただ私が〈わたし〉から逃げようとした罰でしかないから。

くるしい 

たすけて

しにたい

鬱で機能低下した言語野が出力できる言葉はせいぜい四文字×3。どんなふうに苦しいのか、どうして死にたいのか、浅ましい逃避と抑圧を続けすぎて説明できなくなってしまっているから、言ったってきっと誰にも共感してもらえない。共感を得られない感覚に、ありきたりな四文字に価値はない。だから、声に出されることも文字に起こされることもなく無気力は体内を巡って満たしていく。


ああ、だれか。だれかだれかだれか、助けてくれないかな。

だれか、ここでぼんやりしている私の代わりに、〈わたし〉を操縦してくれたらいいのに。

そして、私は意識をシャットアウトしたまま、操縦者によって生まれたプラスの感情だけ寄生虫みたいに吸い取ってやるのだ。認識なんていらない。やさしいものに囲まれても傷つき続けるわたしは、醜い弱い形だけの大人になってしまうまえに、眠っていたい。

小さいころから、体だけの生き物(頭がないまあるい肉塊)になるか、感情だけの生き物になることをずっと夢見ていた。そもそも、心も体も二つあるのが、心のなかにもたくさんの心があるのが、そのすべてを担わなければならないことが、マルチタスクが苦手なわたしには無理難題なのだ


2、ことばに手ごたえがない、わたしが膨らんで世界が遠のく


本を読もうとする。日本語のはずなのに、沢山の文字列が頭のなかをすり抜けていく。なにも手ごたえがない。魚、とか、銀色、とか、愛、とか、気になることばが少しだけ色を持って心に届く、それくらい。文節と分節のつながりを考えようとするだけで脳みそが熱気を放ち唸りをあげ、嫌気がさす。
人の話を聞いていてもそうだ。単語単語を聞き取って理解するのに精一杯で、一文話し終わった頃には最初の単語を忘れていて、結果目の前の人が何を言っているのかよくわからない。
自分の歪んだ感覚、私の視界が読み取る映像は、私のべっとりとした指紋が張り付いて、ほかの世界を覗こうとしても、自分しか映らない。他者といても、他者がみえない。手ごたえがない。他者の表情がみえない。感情がみえない。わたしがなにをしゃべっているのか、どういう風に受け取られているのか、よくわからない。


わたし?といる人の膝ががたがたと震えていた。膝の震えをその人は必死に手で押さえつけようとしていた。私はそれをぼんやりみつめて、私のかわりに〈わたし〉を動かしてくれるひとがあらわれることをつよくつよく願った。
どうしていいかわからないよ、面倒くさい、こわい、だれか、わたし?のかわりにこの人に上手なことばをかけてあげて。
だれかは、いつまでたっても私を乗っ取ってはくれなかった。いつまでたってもわたしはわたしで、わたし?がその人を震えさせていると言う事実が私の元に迫ってきていた。

裏切られた、と思った。なにに?わたしに。なにか、あいまいでぜったいだったものに。
どんなときでも、書き言葉の世界には、わたしの居場所があった。書き言葉があったから、人と話すのが怖かったわたしは生きてこられた。口で話そうとするとすぐ口ごもったり、頭が真っ白になってしまうけれど、手紙や交換日記でたくさんお喋りした。伝えられないことは沢山ノートに自分の気持ちを書き連ねた。でも、もうそれができない。


3、世界が遠のいた先の人混み



〈街ゆく人達〉が、私と同じ次元を歩いているという実感がない。私が、この待ちゆく人達の中にいてちゃんと足を踏みしめている実感がない。

(ほんとにみんな生きているのかな。私と同じように思考しているのかな。目はちゃんと光に反応して、あれこれを知覚できているのかな。耳はちゃんと音を認識して、脳はその音を処理して理解することができているのかな。触覚はあるのかな。ほんとうは内面なんてなくて、ただゲームの中のNPCみたいにプログラミングされて動いているだけなんじゃないだろうか。)

(そもそも、わたしはほんとに生きているのかな。こんなに目の前の風景と私の間に断絶があるのに。ほんとうはこれ、ただの映像か私の夢なんじゃないだろうか。)

(街のひとたちのほうが生きていて、私は幽霊だから、こんなにも遠いのかなぁ。気づいていないだけで、とっくに私、死んでたのかもしれない。どっちにしろ、こんなに実感がないんだったら、死んでいるのと同じだ。死にたいと言って苦しんでいる人よりずっとずっと死んでいる。消えたくてたまらない人より消えている。……あれ、じゃああのしにたいもきえたい も叶ってる?でも、くるしいは叶ってないよ。あ、くるしいってお願いじゃなかったか。いまってくるしいのかな、くるしいのかわからないけれど、こんなかんじを望んでたわけじゃなかったんだけどな。)

(私が人の顔がよくみえていたわたしだったとき、夜中の電車のなかで、何人もの人たちが友人より近い距離で身を寄せ合ってやつれた顔をしていたのに、誰も話すことも抱きしめることもせず、私も何もしなかったんだ。隣の人がこんなに寂しそうで、からっぽの顔をして、毎日毎日どんどん無機物みたいになっていく。なのに話しかけることもできない。抱きしめたかった。大丈夫だよっていいたかった。誰にでも抱きしめてほしかった。誰にでもだいじょうぶだよって言ってほしかった。でもなにもできなかった。だから、この世界もわたしも偽物で、きっとみんなからっぽなんだ。わたしも幽霊でみんなも幽霊できっとみんな死んでるかバグを起こしてるんだ。)

そんなことを考えていると、つま先からあたまのてっぺんまでふわふわして、色づいているはずの目の前の色がよくみえない。ふと、疑問に思う。
例えば今歩いてきた、この、白いワンピースの女の人のお腹に、そっとナイフを突き刺してみたら、ほんとうにその人は血を出して絶命してしまうのだろうか。心と体の動きが止まってしまうのだろうか。あるいは、ちゃんと抵抗したり、逃げたりするのだろうか。血はあたたかくて、鮮やかなのだろうか。わたしはそれをちゃんと感じ取れるのだろうか。
もしそうなったら、周りの人達は恐怖でバラバラに散ってしまうのだろうか。あるいは私を止めようと接触してくるのだろうか。
〈わたし〉?は殺人者になって、〈わたし〉?は大勢の人に憎まれ、蔑まれる、生きている価値がない、決定的に死んだほうがいい人間となって、一生かかってもぬぐえない「罪」を背負うのだろうか。
私が傷つけようとして刺しても、私の手はその人をすり抜けて、何一つ傷付かずけろっとしていたりするんじゃないだろうか。


n、 崩壊、収縮、わたし


(わたしは中学生のころからよく入眠時幻聴を聞いていた)

バイトのとき、「わたしのなんだけど、」と強い声でその人は言った。
〈わたし〉?は申し訳ございません、と謝った。強い声には慣れてきたはずなのに、「わたしのなんだけど、」というその強い声が頭からこびりついて接客中も電車を待っているときも電車に乗っている時も歩いている時もずっと離れなかった。
眠りに落ちる寸前、「わたしのものだ」という幻聴がはっきりと聞こえた。いままでホワイトノイズのような雑音や、言語のようで言語でない不明瞭な言葉の集合体が聞こえてくるだけだったから、そんなふうにはっきりと幻聴がしゃべったのははじめてだった。

朝起きた時、私は昨夜の幻聴を思い出した。震えながら天井に向かってつぶやいた。


「わたしの、ものだ」


「〈わたし〉は、私のものなんだ」


わたしはバイトをやめよう、と決意した。

そしてその日以降、幻聴はぱったりと聞こえなくなった。

自分なりに感謝の気持ちを伝えて、バイトを終わらせた。なにかを自分の手でちゃんと終わらせたのは初めてだった。責任のない集まりからはすぐに逃げたし、責任の生じる集まりはその責任が終わるまでやめたことがなかった。わたしは、自分が自分であることがとても怖くて、透明になりたくて、少しでも自分を他人にゆだねたかったのだ。終わりの日、涙ぐんで見送ってくれた方がいた。もうここには来たくないなと体が訴えてるのを感じながら、もうきっと逢わない人達の日々がこれからも続いていくことを理解したくて、その日々が悪くないものであるように願って、「またきっときます」とわたしは喋ってみた。

バイトで貯めたおかねで、気まぐれに陶芸体験に行った。

手先は器用だったはずなのだけれど、はじめ、手に感覚がなくてとまどった。そのとき、言葉を思い出した。
わたしのものだ、この手はわたしのものなんだ。
手にむかって心の中で何度も何度も何度も唱えた。手に意識を集中させるのは苦しいと思った。脳みそが、めんどくさい、いやだいやだ、って唸る。わたしはこんどは脳みそに
わたしのものだ、わたしのものだよ、
って唱えた。
少し手に感覚が戻った。わたしは私の手と脳みそにありがとうって唱えた。そうしたらまた少し手に感覚が戻って、指と指の隙間で湿った固い粘土が存在していて、私の指先の少しの力や方向の加減で膨らんだり、縮んだりして、私の手がわたしじゃないものに確かに接触して干渉していることが読み取れた。

わたしは矮小な存在だけど、矮小な存在であるわたしのなかには広大なわたしが広がっている。私がわたしのなかでどれくらいを占めているのかはわからないけど、「わたしのものだ、」って思えて、「ありがとう」って言おうと思えるのが私。私自体が気まぐれなのに、わたしのなかのわたしたちはもっと乱暴者だったり気まぐれだったり様々で面倒くさい奴らばっかりで全然私の言うことを聞いてくれないけれど、だからこそそういうわたしは私にとって他者のようなわたしで、そんなわたしたちを最後に愛して守れるのは私しかいないのだ。
そして、ありがとうって思えるわたしを守れるものもまた、そういうわたしたちしかいない。
わたしたちは、死ぬまで離れてくれないどんなメンヘラより絶望的で優しい、血液で繋がる運命共同体だ。だからわたしたち、ちゃんとばらばらじゃなくまとまって動けるように協力しなきゃね。私はわたしの国の王様なんだから。

見るのが怖かった体をよく見てみる。
気分の変動による食欲の変動で体重の減増を繰り返しているせいで、太ももとふくらはぎには皮膚が割けてできた赤い線や白い線がいくつも走っている。こんなところに傷があったって初めて気づいた。
他人からみたら綺麗なものではないかもしれないけれど、思ってたより全然醜くなかった。葉脈のようにも水影のようにもみえる。私は生き物なんだ、今の瞬間以外もちゃんと生きてたんだって思っていとおしい気持ちになった。リストカットはできなかったけれどわたしなりに傷ついていたんだ、わたしの身体は苦しいって表現していたんだって思った。
飲み込んでくれる喉や、胃に、いつもご苦労様、って思って、ちょっと撫でてみた。きゅう、とお腹が鳴った。


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