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めも 言葉にならなかった感覚を再現する

前置き


※今の気持ちではなく、言葉にならなかった時(思考抑制・離人感)の気持ち、とびとびの記憶の一面を再現している。
※さいきん、私は自分の心を考える時パフェを思い浮かべる。コーティングされたチョコみたいな楽観とその下の悲観、その下のとろとろのアイスクリームみたいな愛憎と、スポンジ生地みたいな空洞だらけの劣等感、1番深いところにコーヒーゼリーみたいな絶望のような諦めのような静かで暗く重たいものがあって、そのさらにしたに、きらきらの希望があるような、ないような。(もしかしたら、それらを受け止めているガラスの器がキラキラな希望なのかもしれない)
 どこを食べているかで記憶は変わっていく。記憶の姿は変わっていく。どれも嘘じゃない。チョコレートを食べてほろ苦かったのも、イチゴを食べて甘酸っぱかったのも全部本当。あまりに濃厚なチョコレートを味わっている時、バニラアイスの味は思い浮かばないけど、バニラアイスがさっぱりしてておいしかったのが嘘なわけじゃない。本当は同じ時系列でたくさん他者とのかかわりもあったけれど、あまりに濃厚なひとりぼっちの味だけを用意してすくってたべてみる。パフェみたいだと思うといじらしくなって他人の感情からも自分の感情からも少し距離を取れる。それらの味がしているときに再現する記憶。
※読みやすさ・整合性より、思い浮かんだ記憶の通りに書くことを優先する
※自分のある状態(今は共感できない状態)を物語として覚えておくことで、過去の異質である自分や類似する状態(同一ではないことに注意)にある他者を認められるようになりたいと考えている。悲しみや怒りを増幅させないよう気をつける。

1、だれか




くるしい 

たすけて

しにたい

 頭が、体じゅうが重たくて動かない。それでも家に帰るために暗がりのなか足を動かす。意識がある限りなにも考えないでいることはできない。出力できる言葉はせいぜい四文字×3。振り払おうとするほどことばは加速して頭の中を埋め尽くす。どんなふうに苦しいのか、どうして死にたいのか、浅ましい逃避と抑圧を続けすぎて説明できなくなってしまっているから、言ったってきっと誰にも共感してもらえない。共感を得られない感覚に、ありきたりな四文字に価値はない。だから、声に出されることも文字に起こされることもなく無気力は体内を巡って満たしていく。


 ああ、だれか。だれかだれかだれか、助けてくれないかな。

 だれか、ここでぼんやりしている私の代わりに、〈わたし〉を操縦してくれたらいいのに。


2、ことばに手ごたえがない、わたしが膨らんで世界が遠のく


 本を読もうとする。日本語のはずなのに、沢山の文字列が頭のなかをすり抜けていく。なにも手ごたえがない。魚、とか、銀色、とか、愛、とか、気になることばが少しだけ色を持って心に届く、それくらい。文節と分節のつながりを考えようとするだけで脳みそが沸騰して嫌気がさす。
人の話を聞いていてもそうだ。単語単語を聞き取って理解するのに精一杯で、一文話し終わった頃には最初の単語を忘れていて、目の前の人が何を言っているのかよくわからない。
 自分の歪んだ感覚、私の視界が読み取る映像は、私のべっとりとした指紋が張り付いて、ほかの世界を覗こうとしても、自分しか映らない。他者といても、他者がみえない。手ごたえがない。他者の表情がみえない。感情がみえない。わたしがなにをしゃべっているのか、どういう風に受け取られているのかもよくわからない。全ての世界が私の部屋のなかみたいになってわたしはいつだってカーテンを閉め切って食べ物を口に押し込めている。味はしない。空洞を満たしたい。胃を喉を口の中を頭の中を全部全部満たしたい。満員にして、誰もなにも私以外入ってこないでほしい。感情の残骸に、生活の残骸に、わたしは押し潰されて飲み込まれていく。もっと飲み込まれて、わからないことさえわからなくなりたい。きっとそうなれる。そうなればきっと満たされる。
 孤独を癒すには、死ぬ必要がないと思いこむためには、こうやってわたしのなかだけで世界を征服したと錯覚するしかないのだ。わたししかいないから、なにも寂しくない。なにも不安じゃない。わたしは何も悪くない。誰も私に手は出せないし私も誰にも手を出さない。何も怖くない。自己実現、競争心、劣等感、それってこの痛みを薄めてくれるの。感情だけがある、体と感情だけ。

 裏切られた裏切られた裏切られた。私はそう何回も唱える。酷い、酷いよ。なんでこんなことするの。この感情をどこにやればいいの。せっかく一人でいるのになんでわたしはこんなにうるさいの。なんでこんなにわたしに責められなきゃいけないの。こんなに感情が氾濫して目まぐるしくて、なにひとつことばにならない。
 ことばとわたしとなにか、あいまいでぜったいだったものに、裏切られたんだ。
 どんなときでも、「書き」言葉にはわたしの居場所があった。書き言葉があったから、人と話すのが怖かったわたしは生きてこられた。なければとうに淘汰されて死んでいただろう。
 目を見て口で話そうとするとすぐ口ごもり頭が真っ白になるけれど小さい頃から手紙や交換日記でたくさんお喋りした。伝えられないことは沢山ノートに自分の気持ちを書き連ねた。でも、もうそれができない。


3、世界が遠のいた先の人混み



 〈街ゆく人達〉が、私と同じ次元を歩いているという実感がない。私が、この待ちゆく人達の中にいてちゃんと足を踏みしめている実感がない。

(ほんとにみんな生きているのかな。私と同じように思考しているのかな。目はちゃんと光に反応して、あれこれを知覚できているのかな。耳はちゃんと音を認識して、脳はその音を処理して理解することができているのかな。触覚はあるのかな。ほんとうは内面なんてなくて、ただゲームの中のNPCみたいに取り決めにしたがって動いているだけなんじゃないだろうか。)

(そもそも、わたしはほんとに生きているのかな。こんなに目の前の風景と私の間に断絶があるのに。ほんとうはこれ、ただの映像か私の夢なんじゃないだろうか。)

(街のひとたちのほうが生きていて、私は幽霊だから、こんなにも遠いのかなぁ。気づいていないだけで、とっくに私、死んでたのかもしれない。どっちにしろ、こんなに実感がないんだったら、死んでいるのと同じだ。死にたいと言って苦しんでいる人よりずっとずっと死んでいる。消えたくてたまらない人より消えている。……あれ、じゃああのしにたいもきえたい も叶ってる?でも、くるしいは叶ってないよ。あ、くるしいってお願いじゃなかったか。いまってくるしいのかな、くるしいのかわからないけれど、こんなかんじを望んでたわけじゃなかったんだけどな。)

(私が人の顔がよくみえていたわたしだったとき、夜中の電車のなかで、何人もの人たちが友人より近い距離で身を寄せ合ってやつれた顔をしていたのに、誰も話すことも抱きしめることもせず、私も何もしなかったんだ。隣の人がこんなに寂しそうで、からっぽの顔をして、毎日毎日どんどん無機物みたいになっていく。なのに話しかけることもできない。抱きしめたかった。大丈夫だよっていいたかった。誰にでも抱きしめてほしかった。誰にでもだいじょうぶだよって言ってほしかった。でもなにもできなかった。だから、この世界もわたしも偽物で、きっとみんなからっぽなんだ。わたしも幽霊でみんなも幽霊できっとみんな死んでるかバグを起こしてるんだ。)

 そんなことを考えていると、つま先からあたまのてっぺんまでふわふわして色づいているはずの目の前の色がよくみえない。ふと疑問に思う。
 例えば今歩いてきた、この、白いワンピースの女の人のお腹にナイフを刺してみるとき、わたしはためらうのだろうか。手ごたえはあるのだろうか。差し込んだらほんとうに血が出てくるのだろうか。死んでしまって心と体の動きが止まってしまうのだろうか。あるいはちゃんと抵抗したり逃げたりするのだろうか。血はあたたかくて鮮やかなのだろうか。わたしはそれをちゃんと感じ取れるのだろうか。
 もしそうなったら周りの人達は恐怖でバラバラに散ってしまうのだろうか。あるいは私を止めようと接触してくるのだろうか。
 〈わたし〉?は殺人者になって、〈わたし〉?は大勢の人に憎まれ、蔑まれる、生きている価値がない、決定的に死んだほうがいい人間となって、一生かかってもぬぐえない「罪」を背負うのだろうか。
 ……いまいちピンとこない。私が傷つけようとして刺しても、私の手はその人をすり抜けて、何一つ傷付けられないんじゃないだろうか。


4、 崩壊、収縮、わたし


(わたしは中学生のころからよく入眠時に幻聴を聞いていた。あまりに当たり前だったのでこれが正常な状態ではないのだとは気が付いていなかった)

 バイトのとき、「わたしのなんだけど、」と強い声でその人は言った。
〈わたし〉?は申し訳ございません、と謝った。強い声には慣れてきたはずなのに、「わたしのなんだけど、」というその強い声が頭からこびりついて接客中も電車を待っているときも電車に乗っている時も歩いている時もずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと離れなかった。
 眠りに落ちる寸前、「わたしのものだ」という幻聴がはっきりと聞こえた。いままでホワイトノイズのような雑音や、言語のようで言語でない不明瞭な言葉の集合体が聞こえてくるだけだったから、そんなふうにはっきりと幻聴がしゃべったのははじめてだった。

  朝起きた時、私は昨夜の幻聴を思い出した。震えながら天井に向かってつぶやいた。


「わたしの、ものだ」


「〈わたし〉は、私のものなんだ」


 わたしはバイトをやめよう、と決意した。

 その日以降、幻聴はぱったりと聞こえなくなった。

 感謝の気持ちを伝えて、バイトを終わらせた。なにかを自分の手でちゃんと終わらせたのは初めてだった。責任のない集まりからはすぐに逃げたし、責任の生じる集まりはその責任が終わるまでやめたことがなかった。終わりの日、涙ぐんで見送ってくれた方がいた。もうここには来たくないなと体が訴えてるのを感じながら、もうきっと逢わない人達の日々がこれからも続いていくことを理解したくて、その日々が悪くないものであるように願って、「またきっときます」とわたしは喋ってみた。

 バイトで貯めたおかねで、気まぐれに陶芸体験に行った。

 手先は器用だったはずなのだけれど、はじめ、手に感覚がなくてとまどった。そのとき、言葉を思い出した。
 わたしのものだ、この手はわたしのものなんだ。
 手にむかって心の中で何度も何度も何度も唱えた。手に意識を集中させるのは苦しいと思った。頭のあたりが、めんどくさい、いやだいやだ、って唸る。わたしはこんどは頭上に向かって、
わたしのものだ、わたしのものだよ、
って唱えた。
 少し手に感覚が戻った。わたしは私の手と脳みそにありがとうって唱えた。そうしたらまた少し手に感覚が戻って、指と指の隙間で湿った固い粘土が存在していて、私の指先の少しの力や方向の加減で膨らんだり、縮んだりして、私の手がわたしじゃないものに確かに接触して干渉していることが、少しずつ、読み取れていった。

 わたしは矮小な存在だけど、矮小な存在であるわたしのなかには広大なわたしが広がっている。私がわたしのなかでどれくらいを占めているのかはわからないけど、「わたしのものだ、」って思えて、「ありがとう」って言おうと思えるのが私。私自体が気まぐれなのに、わたしのなかのわたしたちはもっと乱暴者だったり気まぐれだったり様々で面倒くさい奴らばっかりで全然私の言うことを聞いてくれないけれど、だからこそそういうわたしは私にとって他者のようなわたしで、そんなわたしたちを最後に愛して守れるのは私しかいないのだ。
 そして、ありがとうって思えるわたしを守れるものもまた、そういうわたしたちしかいない。
 わたしたちは、死ぬまで離れてくれないどんなメンヘラより絶望的で優しい、血液で繋がる運命共同体だ。だからわたしたち、ちゃんとばらばらじゃなくまとまって動けるように協力しなきゃね。私はわたしの国の王様なんだから。他の人と喋るときも、他の人の感情に操作されようとして他の人に自分を預けるんじゃなくて、ちゃんと私ために私の国代表として喋ってみよう。まだ、今はそれがどういうことなのかよくわからないけれど。

 見るのが怖かった体をよく見てみる。
 気分の変動による体重の減増を繰り返しているせいで、太ももとふくらはぎには皮膚が割けてできた赤や白の線がいくつも走っている。こんなところに傷があったって初めて気づいた。
 他人からみたら綺麗なものではないかもしれないけれど、思ってたより全然醜くなかった。葉脈のようにも水影のようにもみえる。私は生き物なんだ、今の瞬間以外もちゃんと生きてたんだって思っていとおしい気持ちになった。リストカットはできなかったけれどわたしなりに傷ついていたんだ、わたしの身体は苦しいって表現していたんだって思った。
 この傷はこれからまた増えていくのだろうか、それとも、少しずつ薄らいでゆくのだろうか。どんなことがあっても、この体がもちもちに/ぼよぼよに膨らんでも、硬くしぼんでも/引き締まっても、わたしたちがそれを見守っていられたらいい。見守ってさえいられれば、わたしのなかのなにかをことばにしてもしなくてもいい。ことばを誰かに伝えてみても、わたしたちだけのものにしてみてもいい。わかってもらえたらうれしいし、わかってもらえなくてもそれでそのひとやわたしの奥底が変わるわけではない。私はわたしたちへそう言い聞かせた。なにも、なにも怖がることはない。怖がっていいし、怖がらなくてもいい。そうして、すこしずつ、あきらめて、すべてを、愛さざるをえないものにしてやろうか。そういう野望をもってみるのもありかも。

(あるひとりのからだのなかからどうしても離れない感情の痕跡が、誰にも、もしかしたら本人ですらことばにすることができずに熟れて潰えていく。手の届かないところに実ったその味を想像してうっとりする)

 飲み込んでくれる喉や、胃に、いつもご苦労様、って思って、ちょっと撫でてみた。きゅう、とお腹が鳴った。


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