通信制大学生の日記

単位取得など大学の状況が前進した。こころに余裕ができたら、以前漠然と周囲に対して自分と同じ気持ちでいてくれることや足並みをそろえてくれることを期待していた部分があったことに気が付いて反省して、そういう気持ちと決別したら苛立ちや焦りのようなものがすうっといなくなった気がした。
人にかなり期待してしまうのは自分の性だ。期待すること自体は悪いことじゃないと思っているけど、自分が人に合わせたいどころか人に合わせてほしいと思ってたなんて我ながら傲慢になったものだな、と笑ってしまった。もちろん本当に求める言動をしたわけじゃない……と思うけど、なんとなく以前しばらく人と話すときにピリピリしてしまっていたなあと思って、その底にはそういう気持ちがあったと思う。自分が一番きらいな立場の違う人に自己責任論を振りかざす人になんか近い心情だったかもしれない。余裕のなさって危険だ。でも昔は人に自分が合わせたがっててそこから変わりたいと思ってたから成長過程、なのかも?好意的にとらえれば。。。でもピリピリしてたのはただただマジで申し訳ない。

通信制大学には年次はないから留年っていう概念はない。最短では四年卒業が可能となっているところが多いがレポートや試験の合否によって3ヶ月単位で卒業までの期間が伸びていく。受験という最初の門戸が広いぶんひとつひとつの科目の単位取得のための合否がけっこう厳しいシステムになっている。卒業できたら万々歳。そして性質上一般の大学以上にいろいろな事情・立場のひとが所属しているから学ぶ動機や目的も目標も様々だ。それぞれ見えないところで頑張って日々勉強やそれ以外の生活ーーー忙しいお仕事や大変な持病を抱えている人も少なくないーーーをしている。

どうせとうに一番ストレートな道からは外れてしまっているのだ。こういう場所にきたのだから余計にいろいろなひとと一緒に学ぶことができるこの環境を楽しんで、みんなと足並みをそろえようそろえてほしいとかふつうになりたいなってほしいとか自分が不自由に感じていた(多分気にしてないつもりでほかの人以上に縛られていた。だからむかし些細な「ふつう」を手にしたくて必死になりできなくなるたびに病んでしまっていた)価値観から離れてただ自分のやるべきことはなにかと自分に問い自己を確立させるチャンス、また他者の状況や心情への想像の余地を深めるチャンスにしたいと思っている。


(「足並みをそろえる」ことは決して悪ではないが、足並み揃うorDEAD!☠️☠️☠️とかじゃなく自分を生きやすくする手段程度に考えること、ふつうは相対的な概念で幻想みたいなものだしましてやそれを人に押し付けるのは動物的で野蛮だし「ふつうであること」はある種特権的であることを自覚すること、揃えられなかった場合潔く諦め別の手段を考えられるようにすることエトセトラを骨の髄まで言い聞かせ染み渡らせることがちょっとばかり(?)所謂メンヘラっぽい気質のある自分には大切だと思う❗️)


自分には目標があってそのために自分のペースで日々前進してると感じている。そういうときに手段にできない「ふつう」に固執してもただ疲弊するだけ。

自分と違くても(←違う、というのは劣ってるとか優れてるとかいう尺度ではなく、ほんとうに他者として当たり前に違うということをいいたい)自分と関わってくれる他者がいるのはほんとうに有難いこと。
できるかぎりいつも他者をやわらかく見つめ大切に関われる自分でいられるように、
自分に対しても卑下したり傲慢になったりせず等身大で心を動かして行動できるようにしていよう。
わたしは自分が人よりできる状況にあることが少しでもあったならば(例えば自分を省みて改める時間があることとかもふくめて)それを自覚して惜しまず恐れず人のために使えるようになりたい、そういうお仕事や人生をやりたいと思っている。自分の心の器が大きくないことは自覚してるし器が小さい人間がやるには大変なことかもしれないけどまじで本気で思ってる。
だからそのために、お日様にむかう植物みたいに心地よいほうへ成長していこう。


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