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人は置かれた環境によって思考パターンが臨機応変に適応してくる。の環境に適応できる前の文章ってこんな感じ。

以下記事は半年前の下書きが残っていたのでそのまま世に出してみたいと思います。(本日2022年1月5日)

今ならこんな文章体で投稿するのか、わたし?

と思いながらカミソリ剥き出し投稿しております。

人が読みたい投稿をしようなんて1ミリも考えていない

そんなわたしもいたんだなぁ〜
それも愛おしい。


———

タイバンコクでは世界中で流行らそうとしているナントカ病を流行らすことに大成功。

レストランもお待ち帰りしか出来なくなりカフェでお茶もできない。公園も開いてないときたら家でぼーっと生きてろと何も知らない国民に虐げてくる。もう少し頑張ろう!出来ることをお家でやろう!それはそれはとてもいいことだと思う。他人に左右されずにどんな環境でだって己の自我を保とうとするその努力は否定しない。ただ君は何を軸にしてその選択をしているのだ。なんのために生きてきたのだ。テレビが?ネットが?友達の友達が?自分軸はどこへ行ったのだニンゲンよ。

こうありたい人生を訳のわからないものによって押さえ込まれていることに目を背けてはいけない。

幼少の頃より亡きヒッピーな父から世の中は嘘つきだらけだ。自分の本当の人生を生きたいと思った時に真実は見えてくる。今までテレビがネットが嘘をつくなんて思ったことは無かった。だってそんな説明じゃ子どもだった私にゃあ難しすぎたよ。でも彼は本を読む時とテレビを見る時以外は不幸そうな顔をしていた。彼は根っからのステイホーム野郎でもあった。若い頃は親戚に借金をしてでも海外意識の強い野郎だった。

話はもう少しヒッピー野郎に遡るんだけど、第二次世界大戦の終戦直後に産まれたヘビーブーマー、戦後テレビがやってきて、毎日映画をテレビで観ていた。洋画、邦画、特に奥様は魔女とか名犬リンチンチーンの話を良くしてくれた。イマダニミタコトナイケド。丁度繊維産業が流行って実家の紡績工場も景気が良く幼き父の写真には立派なハンチングに綺麗なおべべを纏ったいいとこ風の坊ちゃんが写っている。そんな順風満帆な彼だが私のひいおじいちゃんは女癖が悪く、第一次青春期頃、2人は離婚し継母を迎え入れた。

そこからヒッピー野郎ことヨシローが仕上がってくる。

————

とここで下書きが止まってました。

わたしはここから亡き父の事から曝け出して、
自分の過去の毒を吐こうとしていたのでしょうか。

そしてこのnoteをたまたま見かけてくれた人が笑顔になれるのでしょうか。

いやぁ、わたしならそっ閉じしちゃうかも。

この下書きから半年の間にわたしはどんな行動に出たのか!

それは音声SNS、
クラブハウス(clubhouse)からスタートしました。

このノートでは
わたしに起こるすべてのことには意味があるって事をどのように解釈しているのか、
後から誰でも振り返れるようにしたためていきたいと思います。

皆さんの日々の生活をパーティーにする
gomarichan視点をお届けしタイ❣️

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