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感想のすゝめ(チラムネ福井コラボ)

 「あんたが持ってるその本、私も読んだんだ。私の地元の福井が舞台って聞いてさ。感想聞かせてよ。」
彼女は僕の手にある『千歳くんはラムネ瓶のなか』に視線を向けながら鞄に手を突っ込み本を取り出している。
福井で開催されるトークショーの抽選に当選し、胸を躍らせながら遠征の準備をしている最中だった。
意気込んで僕の口から出てきた言葉は「エモい」、「かわいい」、「青春」
すらすらと言葉が湧いてくる。われながら上手い、自分のSNSアカウントで投稿すれば50いいねはつくだろうと満足げにしていると彼女は眉をひそめて畳み掛けてくる。
「それは感想じゃないよ。ただの記号、属性。そんなのはハッシュタグにつけとけばいいのよ。読まなくたって言えるよそんな感想。あんた本気で感想考えたことないでしょ。共感が得られればそれで良いって考えてるでしょ。感想っていうのは他人に合わせる必要はないものなんだよ。むしろ被らないもの。世に溢れる他人の言葉を借りても人の心は動かせないよ。言葉は自分で発明しないと。今のままでトークショーに行っても没個性のオタクの一人だよ。いいの?そんなんで。オタクを自称するならアイデンティティを欲しがりなさいな。」

 福井へ向かう電車に乗り込む。「アイデンティティ…」彼女の言葉が離れないまま移動することになってしまった。
チラムネを眺めながら感想を考える。僕は思い出す。《千歳朔》に憧れた記憶を。時に協調性を重視し、時に周りを気にせず一途に打ち込む、そんな振る舞いがかっこよかったのだ。同時に中学生の頃の嫌な記憶も蘇る。
周りに流されている自分が嫌いで、なんとか自己嫌悪から抜け出そうともがいていた。得意だと感じていた”歌を歌うこと”は頑張ろうと合唱を一所懸命に練習をしていた。しかしクラスメイトからは馬鹿にされてみじめに思い、結局周りからズレることを諦めてしまったのだ。そこからは高校に入り、SNSにどっぷりハマり、共感すること、されることの気持ち良さを憶え、流されることが嫌だった自分を忘れてしまっていた。個性を出さないことに慣れてしまっていた。

 「せめて好きなことぐらいは自分を、我を出したい。トークショーがその第一歩だ。電車に揺られて考えていたらなんとなく言いたい感想が見えてきた。」ひとりごとを言いながら参考になる文章を探してSNSで検索をかける。
”「世に溢れる他人の言葉を借りても人の心は動かせないよ。言葉は自分で発明しないと。」”
「危ない危ない。しかし困った。うまくまとまらない。」
彼女に電話をかける。
「いきなりは難しいよ。SNSの為の文章しか考えてこなかったんだから。でも言いたい事は見つかったのね。それならきっと大丈夫だよ。自分の言葉で語って、自分だけのエピソードで肉付けして、そうやって出てきた感想は凄く気分が良いのだから。運が良ければ周りにも褒めてもらえるかも。
気を付けることは自信を持つこと。感想には正解も不正解もないから堂々と語りなさいな。センスの有り無し、文章が優れているか優れていないかという比較要素はあるけれど気にしすぎないように。だって初心者なんだから。汗で語った感想ならばきっと良い結果になるよ。」

 彼女の言葉で不安が薄くなる。明日のトークショーを想像する。たくさんのファンがいて、作者がいて、関係者がいて、地元の人がいる。自分だけの感想を色んな人と話したい、話そう。決意を固め電車に揺られながら眠りにつく。

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