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仕事を辞めて、心の中に自由な『風』を取り戻すために

 今年度になってnoteを始めようと思った。どうしてnoteを始めようと思ったのか、それを自己紹介の代わりとしてまず一つ目の記事として書こうと思う。
 
 今、30代半ばになって自分が何をしたいのか分からなくなって非常に悶々としている。何か動き出したい、でもその何かが分からない。心の中に『風』が吹かなくなって何も心が動かない、でもこのままではいけない、何か自分を表現することをしたい、でも何をしたらいいのか分からない。そんな鬱々とした気持ちを抱えている。そこからなんとかして逃れるために、まずは自分の今の率直な気持ちを表現しなければならない。表現したら心の中にまた『風』が吹くかもしれない。そんな思いからnoteを始めることにした。

『風通し』のよい職場で働いた楽しかった経験


 私は今年の3月末で仕事を退職した。6年間勤めた職場だった。勤め始めたときはとても働きやすい職場でとても楽しかった。何がよかったかって、『風通し』がいいところ。会議といったオフィシャルな場でもそうだったし、雑談のようなアンオフィシャルな場でもそうだった。私の仕事はいわゆる専門職で、職場には同じように数人の専門職がいた。そして毎週いくつかの案件が入ってき、それを会議で負担が偏らないように皆で割り振るのだ。特に重要なのは負担が偏らないように、というところ。その会議の場で先輩がはっきりと「それは自分には引き受けられない。でもこういう条件なら受けられる」と仕事を引き受けるという前向きな姿勢を前提としたうえで意思表示をしっかりとしていた姿勢に私は感銘を受けた。もちろん全てのメンバーがそういった意思表示をしていたわけではないが、部署全体としてひとつの方向に向かっている、そんな空気感が漂っていた。意思表示ということだけではなく、仕事上必要な情報はすぐに伝えてもらえた。だから入りたての私が分からないことがあってもすぐに尋ねることのできる『風通し』のよさがあった。アンオフィシャルな雑談の場においても一部の人だけで笑っているのではなく、周りの人も興味があれば口を挟んで一緒に笑いが生じる、誰もが話題に入っていける、そんな空気感がすごく好きだった。そんななかで私もきちんと自分の意思表示をすること、必要な情報は伝えること、それが集団で仕事をするうえでの大切なことだと信じて仕事をしていくようになった。そうやって『風通し』のよい職場のなかで自由にのびのびと仕事をするなかで、3年4年と経つうちに、自分がすべきこと、やりたいことがものすごくクリアに見えてきて仕事はとても楽しくなった。もちろん私もきちんと自分の意思表示をすること、他のメンバーにこまめに声をかけることを大切にしていた。

次第に空気が澱んでいく職場に対する私の意地


 だが、5年目を過ぎる頃から私の中で、「やりづらいな」と思うような空気感に変わってきた。なんというか、『風通し』が悪い、職場の空気が澱んでいる、そんな感じだった。単純に言うと原因はメンバーが変わったことだった。もちろん職場には異動がある、それは仕方がない。私が感銘を受けた先輩も異動になって去っていったし、雑談の中でいろんな人を巻き込んで一体感を作ってくれていた先輩も去っていった。普段はあまり何も言わないが大事なときにはビシッと言ってくれる頼りになる先輩も去っていった。仕方がない。そして異動して新たに来た人にこれまでと同じことを求めることはできない、それぞれにその人のやり方がある、そんなことは分かっているつもりだった。それにしてももうどうしようもないくらい『風通し』が悪くなっていった。

 特に私が苛立ったのは会議のときだった。入ってきた案件をみなで割り振るのだだが誰も「やります」とも「やれません」とも言わない。ずーっと黙っている。黙っていれば自分はやらなくてすむとでもいうように。私はどうしてもそれが許せずに「この案件は私はやれます」「これは私は条件が合いません」と発言し続けた。しばらくすると他の人が「まあやれないことはないけど」「でも他の人はやらないんですか」とか言い出してなんとか決まる。それも全体に聞こえるようには話さないので必然的に他の場所でもひそひそと話が始まる。どうしても決まらないときは結局決まらないまま上司が「まあ、まあ、それはじゃあこんな感じで、先に伸ばして」と終わらせていく。結局どうなったの?と内心突っ込みつつ、『会議は踊る、されど進まず』ってこういうことなんだなぁと思っていた。もう腹が立って腹が立って仕方がなかった。私の中で一度空気の澱み、『風通し』の悪さを感じると加速度的にその感覚は広まった。業務の都合で外に出るのに一部の人にしか話さずに出ていく。他の部署の人に尋ねられても自分の担当じゃないから分からないと平気で言う。3人で担当している事案でも2人は知ってるのに残りの1人には知らされていない。必要なこともたまたまその場にいた人は知っているけど席を外していた人には知らされていない。仕事の情報共有をしていたはずが、いつの間にか独り言に回収されて何を言ってるのか聞き取れない。そんなことが山のようにあった。始めのうち私は腹が立って仕方がなかった。怒りに燃えていた。「なんで知らせてくれてないの!」「なんでみんなに聞こえるように言わないの!」私はどうしてもそれが許せずにただ一人大声で発言し続けた。もう以前のように『風通し』のよい職場でなくなったということをどうしても受け入れることができなかった。私一人だけでもきちんと意思表示をしなければ、以前のように『風通し』のよい職場にしなければ、今思うとそんな意地を張っていたのかもしれない。

心の中に『風』が吹かなくなった


 そうやって職場の全てに怒りを感じているうちにどんどん心身が消耗していった。職場の『風通し』の悪さが私の心の中に伝染し、怒りの気持ちを吹き飛ばしてくれる風が心の中に吹かなくなったようだった。怒りの気持ちをなんとか飲み込もうとするかのように、お菓子を毎日気持ち悪くなるまで食べ、帰ってきてはお酒を呑んだ。朝仕事に行く前から「もうすでに帰りたい」と思っていた。そんな毎日だった。そして、何より仕事を楽しいと思えなくなった。なんのためにやってるのか、仕事の意味を見失った。もうこれ以上がんばっても私が好きだった『風通し』のよかった頃にはもう戻らない、そうやってようやく諦めがついた頃に仕事を辞めることを決めた。辞めると決めてからはもう腹は立たなくなった。もうどうでもいい、そんな投げやりな気持ちで淡々と辞めるための準備をこなしていった。そのうち、仕事だけではなく何も楽しいと思えなくなった。趣味の習い事も楽しいと思えず行かなくなった。心の中に何の風も吹かなくなって、怒りの気持ちも楽しいという気持ちも何の気持ちも湧き上がらなくなってしまった。

凪いだ時間と焦る日々、そして進むための一歩


 そんな月日を半年ほど過ごしてようやく今年の3月に退職した。そして一月が経った。この1ヶ月は本当に穏やかな時間で心の中で何の波風も立たない、凪のような時間だった。ただこの1ヶ月ゆっくりと凪のような時間が続いて、この先私はどうしたらいいんだろう。この先何もせずに過ごしていくわけにはいかない。何か仕事をして稼いでいかないと生活はしていけない。そして、何よりも私は何がしたいんだろう。楽しいと思えなくなったこれまでの仕事を続けていくことはできるんだろうか。世間を見てると楽しそうなもので世界はあふれてる。他の人はみんなすごく楽しそうだ。頑張っているように見える。でも私は何も頑張れてない。私は何がしたいのか。私が頑張った証はどうやったら残せるのだろうか。焦る気持ちだけがどんどん募ってくる。私の心に自由な風が吹いてやりたいと思うことが出てくるときはくるのだろうか。なんとかして一歩を踏み出さなければならない。その一歩ってなんだろう。色々ぐるぐると考えた結果、今の気持ちを言葉で表現しておきたい、なんとかそう思えるようになり、実際に言葉に残す勇気が出るまでにだいぶ時間がかかった。
 とりあえず以前の職場で働いて私が感じたこと、仕事を辞めて何を感じたのか、それを残しておくことが次に進む一歩になりますように。そんな気持ちでnoteを始めました。いつかまた私の心に風が吹いて、動き始めることができますように。

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