『犬のかたちをしているもの』女性として生きることのやりきれなさ
高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』の読書感想文です。
ひとことで言うと、「女ってやりきれないなぁ」というのが感想です。
高瀬隼子さんは『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞された作家さんです。そんな高瀬さんのデビュー作が『犬のかたちをしているもの』で本作で第43回すばる文学賞を受賞されています。
以下、あらすじです。
女性は大人になると、結婚、妊娠、出産、子育てというルートを通るものだと社会的にみなされている。私は既婚者で子どもはいないのだが、「お子さんはいくつ?」と聞かれ「うちは子どもいないんです」と応えると、みな自然とばつの悪い顔をする。社会的に認められたルートを通っていないことに触れてしまったというように。そして女性にしかできない妊娠、出産にはセックスが必要だ。
主人公の薫も社会から求められる女性としての役割になじめないでいる。薫はもともとセックスが好きではない。卵巣の病気を患っており子どもができるかも分からない。子どもがかわいいともほしいとも思えない。半同棲中の恋人、郁也はセックスをしないでも「好きだから大丈夫」と言ってくれている。
だが、薫と郁也のそんな穏やかな関係に波風が立ち始める。郁也がお金を払い、ミナシロとセックスをし、子どもができたのだという。郁也は本当は子どもがほしいとミナシロには話していた。「すぐにする必要はない気がして」結婚していなかったのも本郁也は本当は薫との関係に満足していなかったのかもしれない。
世間に求められる女性像と異なる女性がこの小説にはあと2人出てくる。1人目はミナシロ。ミナシロはセックスは好きだけど子どもが嫌い。それでも「産むか産まないか」という女性にのみ課せられた問題に悩み続けてきた。2人目は薫の職場の先輩の笹本さん。笹本さんは課長と不倫関係にある。課長との結婚は望んでいなくとも、職場の人に陰口を叩かれていることを知っていても、課長との子どもを産んだ。子どもを産むつもりはなかったミナシロと子どもが欲しかった笹本さん。ミナシロは最初は「子ども、もらってくれませんか?」なんて突拍子もない提案をしてきたが、最終的に「やっぱりわたしの子」だから「自分で育てたい」と言い出す。薫は子どもがかわいくて仕方ない様子の笹本さんには何も言えなくなってしまう。子どもを産むか産まないかという問題について決断を下せずにいる薫の孤独感は否応なく増していく。
ついにミナシロは出産し、「やっぱり、自分で育てたいって……」「父親のいない子には、したくないと思っていて。田中くん、どうかな」と郁也に父親になるように提案する。薫は郁也を失わないために郁也とセックスをすること、子どもを作ることを決意する。その結末はどうなったのかは分からない。きっとうまくいかないのかもしれない。それでも薫は生きていく。
社会に求められる女性の役割にすんなりとなじめない薫のような多くの女性が、幸せになってほしい。そんな願いを感じた。
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