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人生を棒に振った日、 或いは全ての始まり。

1989年2月、大学受験の日。

その日
雨が降っていたのがいけなかったのだ。
コートのポケットの中に食べかけのHERSHEY'Sのチョコレートが入っていたのがいけなかったのだ。めずらしく新聞の朝刊なんか読んだのがいけなかったのだ。
緊張すると眠れなくなるのは昔からだ。眠すぎて判断力が鈍っていたのかもしれない。
…と言うのは言い訳である。
中央線に乗って国分寺に向かわねばならない。
家の前で「がんばってね。」と見送る母に「うん。」と返事をしたくせに、1時間後私は有楽町から銀座に向かっていた。
雨の中、傘を差して映画館まで歩く。
片手にはポスターカラーが山ほど入った重い重い絵の具箱を持って。
これから私は雨の銀座でヴィム・ヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」を見る。

大学受験、第一志望の受験日当日に。

今日でなくとも良いのは承知の上だ。
でも、見つけてしまったのである。「絶賛ロードショー中!」の文字を。そして思いついてはいけないことを思いついてしまったのだ。
…新聞なんか読むんじゃなかった。

当時私には恋していた男性がおり、映画好きの彼が言ったのだった。
「銀座で『Singin' in the rain』を見た時、映画館を出たらたまたま雨が降ってきて雨の中を歩いたら最高の気分だったんだ」。
彼と同じような体験をしてみたかった。それどころか条件的には私の方が断然ドラマティックである。なんと言っても人生を左右するはずだった日に雨の中、映画を見に行くのだ。
ポケットの中にはチョコレートもある。たった1枚のチョコレートをかじりながら映画館で1日過ごす。
…ハードボイルドではないか。

「ワッケワカンネ」。
自分でも半ば呆れていたが、誘惑には勝てなかった。
「第一志望の受験日当日に2年間の苦労と忍耐を水泡に帰す」(私は大学受験のために高校2年の時から2年間ほとんど毎日予備校に通っていたのだ)。
あれほど望んでいたものを自らの愚行によって事もなげに捨てるのだ。
「過去の努力」、「未来への展望」。頭の中であらゆる事を秤にかけながら、しかし私は自分の考えにゾクゾクしていた。
後悔するかもしれない。いや、遠くない未来に、間違いなく後悔するだろう。だが、なんとトンチキでキチガイじみた魅力的な誘惑であろうか。
…もう一度だけ考えてみる。
「今すぐ試験会場に行けば今ならまだ間に合うかもしれない」。

自分の思いつきの突拍子のなさにうっとりしながら心の中でつぶやく。
「…これはやるしかないだろう」
「死ぬまでに一度でも、今日の事を思い出して笑えたらそれで良し。人生なんてネタになってなんぼだ」。無理やり自分を焚き付ける。確かにオモシロイベントとしては、この先の私の人生の中でも間違いなく一、二を争う馬鹿ばかしさになるだろう。

人生の分岐点もしくは後悔という感情について。

そんな予定はないのだが私の「伝記」が執筆されることになったら間違いなく人生の前半の山場のひとつになる大事件である。確かに私はそれまで描いていた人生設計を自らの手でぶち壊した。
ずっと忘れていたこの事件を最近ふと思い出したのだった。文章に起こすとまあ、なかなかにネタである。
この日の一部始終を知る人間は私以外には誰もいない。30年近くの時間を経て、やっとネタにできて嬉しいかぎりだ。

「実際、これは後悔なのか」と考える。

…否!
どんな人生でも振り返れば分岐点だらけだ。
終わり良ければすべて良し。
役に立つのか?得するのか?より、楽しいのか?わくわくするのか?で生きてきた、私の人生を象徴する出来事。
真面目に生きてきた人からしたら、確かに今の私はちゃらんぽらんに見えるかもしれない。しかし、ちゃらんぽらんな私だってその一瞬一瞬の選択は真剣勝負だ。

私にできることは過去の出来事を今日から先の人生に生かすことのみ。
私の人生に後悔と呼べるものなどない。
…ということは、所詮私の人生、後悔するほど打ちのめされるほどのものでもなし、生ぬるいものなのだろうか、という疑惑である。

…が!
ならば、良し!である。
今までの全ての出来事が、今の、そしてこれからの私を作るのだ。
今、笑えればそれで良し。笑って死ねればもっと良し。

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