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理想像と虚像と妄想の三つ巴
人付き合いにおいて、私たちは頭の中で勝手に相手に断りもなく自分が作り上げた相手の理想像を、目の前の相手に投影しながら日々生きている。
さらにその相手と実生活において相対する時、自分の頭の中の「妄想に過ぎない」理想像を、現実に「生きている相手自身」によって打ち砕かれるという作業を日々繰り返しながら生きている。
「打ち砕かれる」とは。
相手の行動が自分の都合の良い方に傾けば、自分の中での相手の評価は良い方に上書きされ、自分にとって都合の悪い方に傾けば「期待はずれ」という評価となる。
そもそも相手はあなたに対して何もしていないのかもしれない。相手自身にとって、本人の意思や行動は基本的にはニュートラルなはずだ。ニュートラルでなければならない。
さもなくば相手はあなたに、真の姿ではない「虚像」を見せていることに他ならないからだ。
相手とあなたの行動がお互いに「裏切った」「裏切られた」「こんなはずじゃなかった」だとしよう。言葉で表せばこのような負の言葉になるが誰を責めることでもないのだ。相手にとって、あなたにとって、双方が望んだものに対するお互いの応えが、相手にとっての「都合の悪いベクトル」だったに過ぎないのだ。
相手は悪くない。あなたも悪くない。誰も悪くない。
要するに需要と供給のバランスが噛み合わなかっただけだ。
誰を責めることでもないのだ。
相手と自分が噛み合わなかったからといって、それにより相手を、ましてや自分をも否定することでもない。
その関係性がどうであれ、密であったとしても、それ程でないにしても、自分以外の他人から見た本当の「自分」なんているのだろうか。
誰かが「いる」と言い切るのだとしたら、それはその人がそう思いたいだけの、その人が勝手に作り上げた「妄想」じゃないのだろうか。
と思うのである。
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