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余白を作る作業

「嫌い」と言い切ることが「嫌い」である。
矛盾しているけれど。
「好きじゃない」「苦手」と言い換える。

同じように「とても好き」なものは
星の数ほどあるけれど
「愛している」とは言いたくない。
「愛」を口にしたその瞬間から
心の中の大切なものが
陳腐になってしまう気がするから。

「絶対はあり得ない」。
「絶対」は確かにあり得ないのだけれど、
「あり得ない」と断定するのは如何なものか。

「嫌い」「愛している」「絶対」。
極論付けてその反対側にあるなにかを
拒否してしまうのを恐れているのだ。
「嫌い」と意思表示することで
それを「愛している」人を
暗に否定してしまいそうで怖いのだ。
「絶対」と、言い切った後、自分がそれまで「知らなかっただけの真実」を目の前に突きつけられて自分の見識の狭さを思い知るのが嫌なのだ。

と言うことはある意味、私の言葉は全てに対して、逃げが含まれているのだ。
ただ臆病なだけである。

好き嫌いが人に比べて激しいくせに、
それは自分でもわかりきっているくせに、
正直に言えば、好きなもの以上に
嫌いなものの方が多いくせに。

そのくせ全てを受容するかわりに
自分の全てを容認されたいのだ。
心の中では自分を肯定するために
他者を否定することもしょっちゅうだ。
あけっぴろげにしたいのに隠したい。
やっぱり私はわがままな嘘つきである。

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