アレゴリーの方法

「寓意〔アレゴリー〕においては、歴史の死相が、凝固した原風景として、見る者の目の前に広がっている。歴史に最初からつきまとっている、すべての時宜を得ないこと、痛ましいこと、失敗したことは、一つの顔貌、いや一つの髑髏の形をとってはっきり現れてくる。」(ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』,川村二郎訳)

今、まさにわれわれの目の前にも、何か芝居がかった、それでいて当の本人にとっては切実ですらある、醜悪な喜劇が繰り広げられている。

「1920年代半ば、『バロック悲劇論』を書いている頃、ベンヤミンの眼前にあったイメージは・・第1次世界大戦の戦場における死屍累々たる修羅場の光景であり、ドイツ革命の無惨な結末だった。その彼方、過去を振り向けば、17世紀バロック悲劇の絶対権力を持った君主、主従たちの救いのない無惨な破滅の姿が・・さらに古代に遡れば、アッチカ悲劇を超えて、オデュッセウスの帰郷後に繰り広げられた凄惨な復讐の現場が、浮かんでくるだろう。そうした断絶した連続をつなぎ・・重なりあったイメージをすかして凝視するものとして、アレゴリーが登場してくる。」(徳永恂『現代思想の断層』)
「「歴史の天使」の視点にベンヤミンが自分をおいたとすれば、彼の眼前にはどのような廃墟の光景が拡がっていたか。勃発した第二次世界大戦、ナチズムやスターリニズムの制覇が目前にあった。その奥には、「十九世紀の首都パリ」のパサージュの華やかなさざめきが、さらにその奥には、「十七世紀バロック悲劇」の陰惨な光景が、その彼方には、「出エジプト記」を通り越した「創世記」の楽園の景色が、幾重にも重なり合って、自然史的背景のもとに望見される。これ以上に「大きな物語」があるだろうか。だが、彼の背後には何があったのか。・・・・」「もしベンヤミンがアメリカに亡命していたら、という連続線をわれわれは歴史の中に思い描くことができない。ベンヤミンは、しかし本来、物語の美的方法であった「中断」という作法を、我が生涯を打ち切ることで実践した。その後に残された異様な「空白」。その衝撃の痛手は・・・ブレヒトの言葉を借りれば、一種の「異化効果」をもって、後に残る者に余韻を響かせてやまない。われわれはどうこの「空白」を解釈し、再構成するのかという課題を突きつけながら。」(同上pp.158-159)
「だが、その終末はまさに決定的である故に、後の空白はどのようにも塡められるはずだ、どのようにも塡められねばならぬという、気がかりに満ちた強迫観念に似た思いを、営みの無効を告げられてもやはり生きて行くよりほかない人間の心から誘いだす。それはベンヤミンが、ゲオルゲの詩の印象と分かちがたく結びついているという、自殺した女友達の謎めいた身ぶりに通じるので、彼女の死によって永遠に解けぬままに終わったその謎が、まさしく解かれ得ぬ故に、解きたいと願う気持ちをいつまでも抱き続けさせるのと同じことなのである。」(川村二郎『アレゴリーの織物』,pp.350-351)
「人間が歴史を持つということは、それを引用可能な物語にすることなのである。‥ナチスに追われ、ピレネー山中に果てたベンヤミン(1892~1940)の言葉は、その引用が我々自身の燈火になる瞬間を、今も待ち続けている。」
(ララビアータ 田島正樹の哲学的断想)
「救済の道がすべて閉ざされているのが見えるからこそ、救済を求めねばならないと熱望する観察者にして初めて、その読み取りを強行し得るのだと思われる」(川村二郎『アレゴリーの織物』p179)


「希望なき人々のためにのみ我々に与えられる希望」もまた、そのような仕方で差し向けられるのを待ち続ける。

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